プレゼンの素材探しで、ロッキー・マルシアノを調べていたら、動画が出てきて感動。ミドルネームに「マルシアノ」をつけたいぐらい。

プレゼンの素材探しで、ロッキー・マルシアノを調べていたら、動画が出てきて感動。ミドルネームに「マルシアノ」をつけたいぐらい。
この記事は 3 分で読めます

もう、ガツガツ、パンチを打っているだけ。前に出て、がむしゃらに強いパンチ。体を前かがみにしながら、のぞき込むようにして、右パンチ。単純だけど、ぶれない姿に感動。

本当は、「無敗で引退」というキーワードで写真を探していたんですが、ストーリーを変えてでも、ロッキー・マルシアノを使いたい。そういえば、まだプレゼンをやらせてもらえると決まったわけではないんですけど。ふざけすぎという評判のせいで。

それにしても、すごいKOシーン。首がもげそう。

当初はプロ野球選手を目指していたが挫折。3年間の兵役中にボクシングと出会い、1947年3月にプロデビューし、3回KO勝ちを収めた。
マルシアノの出世試合は1951年10月に行われた、元世界王者ジョー・ルイスとの試合である。ジョー・ルイスは37歳になっているとはいえ、世界王座を25度も防衛した国民的英雄であった。しかし、マルシアノはこの英雄を8回にリング外に叩き出すノックダウンを奪い試合を終わらせた。試合後、尊敬するルイスに勝ってしまったため、泣きながらルイスに謝っていたと言う。
そして1952年9月23日、いよいよ世界王座に挑戦する時がやってきた。当時の世界王者ジョー・ウォルコットに挑戦したマルシアノは初回に強烈なダウンを奪われる大苦戦を強いられることになる。12回まで圧倒的に不利なラウンドが続いたが、13回にドラマが訪れる。高性能爆弾とも形容されたマルシアノの強烈な右フックがチャンピオンの顔面を直撃すると、チャンピオンは前のめりに崩れ、そのままカウントアウトされた。チャンピオンの首がねじ切れんばかりの、この超破壊的な右フックは「スージーQ」と名付けられた。
以降1年に2試合のペースで防衛戦をこなしたが、1955年9月アーチー・ムーアと6度目の防衛戦に9回KO勝ちしたのを最後に「もう戦う相手はいない」という名台詞を残し1956年4月に引退した。
1969年8月31日、アイオワ州において搭乗していたセスナ機の墜落事故により死去。46歳の誕生日を迎える前日の出来事であった。また、晩年は現役時代の打ち合うスタイルのためか頭痛に悩まされていたと言う。