過保護すぎる親たちが集まった授業参観、とってもいい話だけど、盛っている気がします。

過保護すぎる親たちが集まった授業参観、とってもいい話だけど、盛っている気がします。
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すごくいい話で、自分自身の言動も改めて考える良い機会だし、本当にこの小学生の話を真摯に受けて止めたほうがいいんじゃないの、という親も多いのも事実です。

でも、こんな小学生がいたら、それはそれで、違和感を感じちゃいます。子どもらしくないから。

『子供は、見ている』過保護すぎる親たちが集まった授業参観。一人の小学生の発表が、全ての親をハッとさせ、意識を変えさせる事態に。

 

『信じあうこと』

「私は、家族が大好きです。家族も、私のことが大好きです。でも、たまに、とても悲しい気持ちになることがあります。」

「私の家族は、いきすぎだと思うほど、私のことを心配します。この前、私は◯子ちゃんとケンカをしました。私は、◯子ちゃんにいやなことをさせられました。でも、私も○子ちゃんにいやなことをしたと思い、仲直りをしたいと考えていました。」

「その時に、お母さんは私に、あなたはわるくないと言いました。◯子ちゃんがわるいんだから、あやまらなくていいのよ、と言いました。」

「とてもびっくりしました。なんで、私もわるいのに、私はあやまらなくていいのかなって、そのときに思いました。」

「お母さんは、もしかしたら、私のことを信じていないのかもしれない、と思いました。お母さんは、『自分の子供』ということを信じているだけで、『自分の子供だから』という理由だけで、私はわるくないと言っているんじゃないかな、と思いました。」

「そのとき、とても悲しくなりました。お母さんは、私という人間のことを信じてくれているのかな、と心配になったのです。」

「私はお母さんの子供だけど、私というひとりの人間でもあります。その私という人間を、ちゃんと見てくれて、知ろうとしてくれて、信じてくれているのかなって、思う時があります。」

「最近、テレビで、モンスターペアレントという、子供のためにいっぱい怒る人が増えているという話をみました。それを見て、この作文を書こうと思いました。きっとそういう人が増えているのは、きっと子供自身を信じるんじゃなくて、『自分が育てた子供』という、育てたこと自体を信じているんじゃないかなって、思いました。似ているようで、すごく違うことの様に感じるのは、私だけではないのではないでしょうか。」

「私は、家族が大好きです。だからこそ、家族には、もっともっと、私のことを信じてほしいと思います。信じあうことができたら、きっともっと仲良く、もっと笑顔いっぱいで一緒にいれるんじゃないかなって思います。」

「私も、もっとしっかりして、勉強もたくさんがんばります。だから、これからも、私のことをたくさん信じてください。私は、かならず家族みんなの自慢の娘になります。」