今更ながらですが、有賀さつきの訃報にびっくり。ブームの頃の記憶があるので、猶更です。

今更ながらですが、有賀さつきの訃報にびっくり。ブームの頃の記憶があるので、猶更です。
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自分が生きていることに感謝しないといけませんね。

 

https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/908044/

フジテレビが高視聴率で民放トップに君臨した1980年代にアナウンサーとして人気を博し、退社後はタレントなど幅広く活躍していた有賀さつきさんが急逝していたことが明らかになった。5日にフジテレビが速報した。52歳だった。有賀さんは4日に放送された通販番組にも出演しており、突然の訃報に衝撃が広がっている。

有賀さんの死はスポーツニッポンが報じ、フジテレビ朝の情報番組「めざましテレビ」でも三宅正治アナウンサー(55)が速報として、訃報を2度伝えた。亡くなったのは1月末で、死因は不明。

同番組では十数分を費やして故人を追悼。三宅アナは「“天然”的な発言で驚かされてきましたが、こういう驚かされ方したくなかった」と話した。「おはよう!ナイスデイ」など往年の出演番組の映像も流され、「絶大な人気を博した」と故人をしのんだ。

続く「とくダネ!」でも一報が伝えられ、笠井信輔アナ(54)は、有賀さんの同僚だった現フリーアナでタレントの八木亜希子(52)も訃報を知らなかったと紹介。体調不良を周囲に隠していたとみられ、八木は「そういうことを言わない人だから」と言い、笠井アナによると八木は混乱して言葉も出ない様子だったという。

有賀さんは収録済みの通販番組「日テレポシュレ」が4日未明に放送されており、最後まで仕事を続けて短すぎる人生を全うした。昨年にバラエティー番組「ネプリーグ」に出演した際、ショートカットのヘアスタイルが「すてきだ」と視聴者に受け止められた一方、ほほがこけたような顔つきから「激やせ」の疑いもネット上で持ち上がり、体調不良の可能性が取りざたされていた。一昨年に別の番組に出演した時も、健康状態を気遣う見方が出ていたという。

早すぎる死にツイッターのユーザーからは「きれいで可愛くて好きなアナウンサーだった」「寂しい限りです」「驚くばかりです」と追悼や惜しむ声が続々と寄せられている。

有賀さんは横浜のフェリス女学院大学に在学していた84年、当時の“女子大生ブーム”を象徴するラジオ番組だった「ミスDJリクエストパレード」のパーソナリティーを務めて注目され、88年にフジテレビにアナウンサーとして入社した。お笑いブームとともにフジテレビの番組が高視聴率を誇った時代。同期の河野景子(53=貴乃花親方夫人、現姓花田)、八木と“花の3人娘”として脚光を浴び、看板女子アナにのし上がった。

92年にフジテレビを退社。フリーランスとして活動を始めたが、不倫報道でスキャンダル渦中の人となる波乱も経て2000年に一時、メディア活動を休止した。02年にはフジテレビ時代の上司で解説委員などを務めた和田圭氏(65)と結婚して「年の差婚」が話題になった。

その和田氏と06年に離婚。有賀さんは「夫婦だったけれど(夫は)上司だった気がする」と結婚生活を語り、「言語が違った」などと結婚当初から夫婦関係に違和感があったことを告白した。和田氏との間には子供もいたが「妊娠中からつらかった」とも語っている。

和田氏との結婚については、離婚後にバラエティー番組で「刑務所に入る覚悟」でしてしまったなどとネタにしたことも。ほかにイベントでの司会や講演、NHKの手話ニュース番組など幅広く活動してきた。ブログは昨年2月を最後に更新が途絶えており、最終投稿の内容は出演番組の終了に触れ、関係者の冥福を祈るものだった。

女子アナブームの火付け役の一人だった有賀さん。かつての仲間だった花田景子氏は、日本相撲協会内部で改革を訴え、2日の理事候補選で落選した貴乃花親方を支えて注目された。八木は女優としても活動。有賀さんはこれからという時期に人生の幕を閉じてしまった。