雪がうっすらと積もっています。寒さに弱くなるのも歳をとった証拠。あと、脂やニンニクや唐辛子への耐性がなくなるのも。
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雪がうっすらと積もっています。寒さに弱くなるのも歳をとった証拠。あと、脂やニンニクや唐辛子への耐性がなくなるのも。
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できれば、生姜ももっとたっぷりにして欲しかったなぁ。Suicaが使えることと24時間営業であることはありがたいけど、あえて苦言。
http://tabelog.com/rvwr/001453379/rvwdtl/5110500/

やっぱり、AmazonJSと競合するのかな。バリューコマースを手軽に使えるようになると嬉しいから、CS ShopかVC Searchがいいかな。
http://wordpress.e-joho.jp/archives/490
機能豊富ということで、VC Searchをインストールしてみたけど、あまりの面倒くさい感じにすぐにアンインストール。その点、CS Shopはいい感じ。
とりあえず、入れたけど、様子見。
今後、どうなるかわからないからね。

イメージしたものと違って、がっかりしていたのですが、計画を立てる練習ということを考えれば、これもアリだなと思い直しました。
長女の勉強はいかに効率的に、いかに戦略的にやるかが重要ですから、使ってみることにします。著者の佐々木かをりさんが、自分の子供に使っていたというのも、期待できます。
ただ、7週間しかないので、継続して買う場合には、説明の部分が余計なので、説明なしの14週間分にして欲しいですね。やっぱり、割高な印象です。
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整理する際には便利なんですが、カバンの中に入りずらいことに気づいちゃいました。
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でも、ちょっとオシャレなんで、別製品を探していたら、見つけました。もう少しコンパクトなやつを。ちょっと高いけど、買っちゃうかも。
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今日は2回しかコマーシャルが流れず、欲求不満です。テレビの斬新な楽しみ方かもしれません。
http://www.ktv.jp/raden/index.html

子供たちと、たたいてかぶってジャンケンポンをしていて、最近、読んだ闘病記ブログを思い出しました。
死んでいく人にとっては、日常で満足なんだけど、生き残る人には、支えとなる良き思い出が必要だというようなことが書いてあります。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1834128/1843318/87087505
こんな病気ですので、どこかに遊びに行くにしても、息子とボールを蹴るにしても、友人と会うにしても、何かを食べるにしても、これが最後かもしれないという思いが頭の片隅にいつもありました。
しかし、これが最後かもしれないから心残りの無いようにと考えると、涙ばかり出てきてちっとも効率が上がらないので、頭の片隅だけに留めるようにしています。そうすると、結局いつもと変わらずに食べたり話したりボールを蹴ったりして、特別なこともなく終了します。以前よりもちょっとその時間に対する集中力が高いのが、違いといえば違いです。
考えるに、これが最後だからといって特別なことをする理由は、死んでいく側からすればあまりありません。いつものように食べたり話したり遊んだりした記憶こそが大事な思い出なのであって、いつも通りの最終回でかまわないのです。
しかし、残されて生き続ける側はちょっと違います。生き続けるには特別な思い出が必要です。家族や近しい友人にとって、故人との最後の思い出が、特別で楽しい心残りないものであったか、何だかわからないうちに終わった普通のものであったかは大きな違いです。その思い出とともにこの先何十年も生き続けないといけないのですから。
というわけで、自分自身のためには「普通の日常生活(もしくは極力それに近いもの)」をたんたんと、かつできる限り積み重ねていく一方で、家族や友人、特に息子達と家内には、少しでもその後の人生の糧となるような特別な思い出を多く作ってあげたいです。体が満足に動かなくなった今、水族館やサッカー観戦に連れていってあげるという息子達との約束すらかなえてあげられなくなってしまいましたので、何が出来るかは考えないといけません。
こう書くと、死を前にしてなお家族を思いやるりっぱな人のように見えるかもしれませんので断っておきますが、そんなことはないのです。私はいままで、人に「すごいね」「えらいね」「ありがとう」と褒めたり感謝されたりすることで、自分の満足を得ることを目的として生きてきたように思います。言ってしまえば称賛や感謝を受けて自己満足することが生き甲斐なのです。
家族に思い出を作ってやりたいのも、家族から「ありがとう」と感謝されたり、「頑張ったね」と褒められたりしたいからなのです。そうして自己満足を得て、「俺はよくやった」と思えればそれでいいのです。
ブログへのコメントに冷静でしっかりしていると書かれることがありますが、たぶん愚痴や怒りが書かれていないからそういう印象になるのでしょう。そう心掛けて書いていたわけではないので自分なりに分析してみると、これも私が鉄の意思を持つからではなく、ブログを読んだ人に「役に立った」「すごい」と感心してもらいたいためなんだと思います。愚痴や怒りが書かれていても、読む方にはたいした役にはたちませんし、感謝もされません。無意識のうちに役に立ちそうな情報に絞るうちに、愚痴や怒りが削ぎ落とされているんだ、というのが自己分析の結論です。
父親の闘病生活のことを思い出しました。
私は、父の体の動くうちに、自分が建てた家を見に来てもらって、何だかんだ言っても、それなりに立派に育った、と思って欲しかったし、最後に子供の頃のように将棋を1局指したかったという希望がありました。どこか近場に旅行でも行きたかったという気持ちもありました。
が、父はそんなに積極的ではなく、ただ実家にいることを望んでいて、特に何もすることなく、他界しました。
実はちょっぴりと後悔していたのですが、このブログで、私の感情は生きている者のエゴに近いものだったとわかって、ちょっとすっきりしました。考えてみれば、そんなもんですよね。
長女で印象深いのは、3歳の頃、妻と私が起きて、部屋に誰もいなくなってから、目を覚ますと、寂しがりやなので、すごい勢いで走って起きてくるときの、あの鬼気せまる顔だったりしますし、長男も3歳の頃、気に入らないことがあると、上目遣いで睨むブサイクな顔だったりします。そう、本当に日常的なことなんですよね。
完全に話がそれましたが、この瞬間瞬間の日常を満喫するということが、とても大切だなぁ、と改めて感じた次第です。
参考までに引用したブログの著者は、2ヶ月も経たずに亡くなってしまっております。家族が元気だといいですね。

長男の私の頭をたたいたときの得意げで嬉しそうな顔ったらありません。長女もいつまで一緒にお風呂を入るのか微妙な年頃になりましたが、盛り上がっています。
何の変哲もない、だけど、そう長くは続かない日常そのままを満喫しております。子育てなんてそんなもんかもしれませんね。