カテゴリー: 日常

  • 今日は会社で睡魔が襲ってきて集中できなかった。時間がもったいない。仕方がないから、1日の〆は焼酎で。

    今日は会社で睡魔が襲ってきて集中できなかった。時間がもったいない。仕方がないから、1日の〆は焼酎で。

    外出してセミナーに行ってから調子が出なくなってしまいました。おかげで、明日も早くは帰れないでしょう。がくっ。

  • シンプルモダンを目指していたはずが、寒さに負けて、リビングのソファーの前にこたつ。

    シンプルモダンを目指していたはずが、寒さに負けて、リビングのソファーの前にこたつ。

    P5

    吉祥寺のル・ゴルビジェを目指していたのに残念な感じ。もうちょっと仕事のできる設計事務所に依頼すれば良かったと後悔。

  • 寒い。さすがに夏物のスーツじゃ限界か。衣替えレスは無理がある かも。

    でも、薄着するとダイエットにいいという都市伝説もあるし。

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  • 季節外れのキックオフ。「バブルを意図的に創り出し、ブランドとして勝ち抜く」をテーマとしてみました。

    季節外れのキックオフ。「バブルを意図的に創り出し、ブランドとして勝ち抜く」をテーマとしてみました。

    いろいろと考えたんだけど、関係者の期待を極限に高めて、お金の流れをよくして、はじける前に足元を固めて商品力をつけて行きたいなぁ、と思いました。

  • みのもんたの次男がコネ入社なのはわかったけど、なんで手記に書く必要があったんだろう?

    みのもんたの次男がコネ入社なのはわかったけど、なんで手記に書く必要があったんだろう?

    みのもんたは嫌いだったから、どうでもいいや。正直、いなくなったらいなくなったで困らないから。会社と一緒で、誰かが欠ければ、誰かがその地位を引き継ぐでしょう。

    http://topics.jp.msn.com/wadai/j-cast/article.aspx?articleid=2236258

     次男が窃盗容疑で逮捕=不起訴処分=されたことが原因で報道番組の降板を余儀なくされたみのもんたさんが、2013年11月10日発売の「文藝春秋」13年12月号に一連の騒動についてつづった手記を寄せている。

    これまでの週刊誌のインタビューで、みのさんは次男が日本テレビに「コネ入社」したことを認めていたが、今回の手記では、その経緯がさらに詳しく明らかにされた。筆記試験にはまったく歯が立たなかったというのだ。

    ■「将来、社屋を移転する可能性もあるので、引っ越し要員が必要だ」

    みのさんは、これまでのインタビューで、11年に死去した元日本テレビ会長の氏家齊一郎氏に次男の入社を働きかけたことを告白している。例えば週刊朝日11月15日号では、

    「次男の日本テレビ入社は、正直、コネでした。受験番号とか言って、『せがれが受けるからよろしく頼むよ』って、僕が氏家さんに言ってますからね」と明かしており、週刊文春11月14日号では、入社試験の内容についても触れている。

    「試験は、次男が言うには『難しくてわかんなかった』そうですが、結果的に受かった。ですからコネクションがあったからだと思います」 今回「文藝春秋」に寄せた手記「私はなぜここまで嫌われたのか」では、8ページにもわたって自らの思いや、週刊文春をはじめとした週刊誌への反論を展開している。その中で、「コネ入社」の経緯についても詳しく説明している。

    「入社試験を受けたのですが、恥ずかしいことに、筆記試験が難しくて住所と名前しか書けなかった、と。それで、当時、日テレの会長で、一昨年亡くなった氏家齊一郎さんに相談したところ、『将来、社屋を移転する可能性もあるので、引っ越し要員が必要だ』といって、体力だけはある次男を引っ張ってくれたのです(笑)」■塾高時代に万引きが響いて留年

    次男は06年に日本テレビに入社し、今回の事件で諭旨解雇されている。日本テレビが本社機能を麹町から汐留に移転したのは04年のことなので、氏家氏が語ったとされる「将来、社屋を移転する可能性」は、どんなに近くても数十年後だ。

    もちろん入社試験の内容は年ごとに変わるが、就職情報サイトの情報を総合すると、過去の日本テレビの筆記試験では、一般常識問題や、番組の企画案、好きな番組とその理由を書く問題などが出題されたという。一般に、マスコミ各社の筆記試験での合格ラインは6~7割だとされる。

    次男は、いわゆる「慶應ボーイ」で、「幼稚舎→普通部→塾高(慶應義塾高校)→商学部」という典型的なエスカレーター進学を果たしている。塾高時代に万引きで停学になったことなどが響いて1年留年している。

    また、慶應内部の高校から日吉キャンパスにある大学学部に進学希望を出す際の序列は、

    「医学部→法学部法律学科→法学部政治学科→理工学部→経済学部→文学部→商学部」が一般的だとされており、次男の塾高での評定平均はかなり低かった可能性がある。

  • 坂東英二が面白すぎ。カツラは経費だけど、植毛は経費じゃなくて脱税。でも、申告漏れは7500万円なんでしょ。

    茶番もここまでくると最高。真剣に言っているなら面白いし、おふざけで言っているならその図太さに感激。

    http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/11/10/0006486261.shtml

     個人事務所が名古屋国税局の調査を受け、約7500万円の申告漏れを指摘されて以後、芸能活動を休業していたタレントの板東英二(73)が10日、大阪市内のホテルで会見し、「ご迷惑おかけしました」と謝罪した。問題発覚から約1年。沈黙を保ってきた板東がこの問題で公式に語るのは初めて。

    会場となった小宴会場には約100人の報道陣が詰めかけ、10台以上のテレビカメラが並び、新聞、テレビ、ワイドショースタッフが集まった。

    板東は緊張した表情で午後2時、弁護士と共にグレーのスーツ姿で入室。深々と頭をさげた。

    起立したまま「このようにお集まりいただき、ありがとうございます。あの報道より10カ月の歳月が過ぎました。お騒がせをし、ご迷惑おかけしたことをお詫び申し上げます。報道の折にはショックで、冷静に判断する精神状態になく、部屋にこもって考え続けていました。思いはいつも一緒、早くお詫びしたく、自責の念にかられ今日を迎えました。報道の折には、多方面に多大なごめいわくをかけ、板東英二、不徳のいたすところであります」と謝罪した。

    着席すると板東は「税について無知であったのが大きな原因」と申告漏れについて釈明を始めた。「個人のお金と事務所のお金を1人の者(スタッフ)が管理し、公私混同といいますか、どんぶり勘定のような状況になっていた。税への浅はかさを痛感している」と述べた。

    また、「タレント生活を約20年、ずっと植毛をやってまいりました。カツラが経費で落ちるとは聞いていたが、(植毛は)美容整形と同じ(経費にならない)と初めて知った」と国税局との認識の違いを語った。

    植毛の値段についての質問が飛ぶと「いくらとは、相手の方もいらっしゃるので、僕の口からは…。聞いたところでは、カツラというのは経費になるんだそうです。ヅラがいいんだから、植毛もいいだろうと。そうです。無知でした。このような場で申し上げるのは、はい…」

    板東の個人事務所「オフィスメイ・ワーク」(名古屋市)は昨年12月、名古屋国税局の税務調査を受け、2011年8月期までの7年間で約7500万円の申告漏れを指摘された。うち約5000万円は取引先への架空外注費などによる所得隠しと認定された。

    板東はこの問題でTBS「世界ふしぎ発見」などのレギュラー番組すべてを降板、または打ち切りとなり、事実上芸能活動を休業。テレビ局側は公的な説明を求めてきたが、応じていなかった。

    http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/11/10/0006486296.shtml

     個人事務所が名古屋国税局の調査を受け、約7500万円の申告漏れを指摘されて以後、芸能活動を休業していたタレントの板東英二(73)が10日、大阪市内のホテルで会見し、「ごめんなさい!」と謝罪した。問題発覚から約1年。沈黙を保ってきた板東がこの問題で公式に語るのは初めて。

    会場となった小宴会場には約100人の報道陣が詰めかけ、10台以上のテレビカメラが並び、新聞、テレビ、ワイドショースタッフが集まった。

    板東は緊張した表情で午後2時、弁護士と共にグレーのスーツ姿で入室。深々と頭をさげた。板東は「意識の軽薄さ。納税キャンペーンを20年自分がやっておきながら、皆様に義務とか言っておきながら、これだけお騒がせをしたことは本当に申し訳ありません。ごめんなさい!」と沈痛な表情を浮かべた。

    申告漏れと指摘された7500万円のうち約5000万円は取引先への架空外注費などによる所得隠しと認定されたことについては「架空貸し付け、外注費もありません。(税務)当局からは言われませんでした。1人の女性がどんぶり勘定のような管理で、それを指摘され、修正申告しました」と釈明した。

    世間への説明が遅くなったことについて問われると「大変なショックで。新聞紙面もなぜこんなに大きく、厳しいのかと思った。2度とこういうことはあってはならないと思い、事務所を閉鎖しようという思いがあり…これまで東名高速道路を夜中に何回往復したことか。私、事務所を閉鎖する決心をいたしました。(スタッフを)解雇して手続きしています」と語った。

    一部でラジオ番組への復帰が取りざたされたことについては「どこからどのようになったのか。言った覚えもなく、どこの局からも何のお言葉もいただいておりません!」とハンカチで涙をぬぐった。

  • 巨人の小笠原がFA宣言。40歳になって現役続行を目指す姿は立派だけど、成績を考えれば、お金を払う球団の感覚がわからないなぁ。

    短期的には効果があるかもしれないけど、

    会社で言えば、定年間近の部長をリクルートしてくる、ってことでしょ。結構、高い金で。なんか感覚がわからない。だったら、若手を使えばいいのにと思っちゃう。

    http://woman.infoseek.co.jp/news/society/20131110hochi055

    巨人・小笠原道大内野手(40)が10日、東京・よみうりランド内のジャイアンツ球場で記者会見を開き、フリーエージェント(FA)宣言する意志を表明した。

    小笠原は96年ドラフト3位で日本ハムに入団。07年に巨人にFA移籍し、主軸としてリーグ3連覇に大きく貢献した。近年は故障にも悩まされプロ17年目の今季は自己最少の22試合で打率2割5分、1本塁打、8打点。6月5日の日本ハム戦(東京D)では2年ぶりの本塁打となる代打サヨナラ3ランを放ったが、同29日に出場選手登録を抹消されて以降、1軍昇格なし。日本シリーズに出場可能な40人枠からも外れていた。会見では「FA宣言しようと思います」と自ら切り出し、「9月から球団と話し合いをしてきまして、最大限配慮していただいた。最後にもう一度自分を見つめ直したい、新しいところで挑戦してみたいという思いで決断した。試合に出るのが野球選手として一番大事。ゼロから挑戦しようと思った」と説明。

    ファンに対しては「7年間どんなときも温かい声援をいただいて感謝の言葉しか見当たらない。ありがとうございますという思いでいっぱいです」と話した。まだ自信があるかと聞かれると、「そういう気持ちがなければ今日に至っていない。しっかり準備して備えたい」と決意を示した。

  • いい話だけどさ、文章は確かに上手だけどさ、オチが充実感っていうのはいかがなものでしょう。

    ずるいよ。タイトルが、あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話、だよ。期待するでしょ、普通、何かすごいものを。

    http://storys.jp/story/5302

  • 二日酔い。ああ、気持ち悪い。うぉぇ、うぉぇ、うぉぇ。

    飲み過ぎた次の日はどうしてこんなに虚しいのだろう?早起きの目標が…

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  • 功労者なんだけど、もはや実力がなくなった人の扱いって難しいですね。小笠原の場合、そこまで功労者かという話はありますが。

    この気持ち、よくわかるなぁ。地味で、給与等の待遇に影響がないから、あまり話題にはならないけど、会社でもよくあることだったりします。

    http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/201372/

     巨人はベテランの谷佳知外野手(40)ら3人と来季契約を結ばないことを発表したが、その中に事実上の“構想外”となっている小笠原道大内野手(40)の名前がなかったことをめぐって、球団内で異論が噴出している。

    巨人がベテランの去就を巡って揺れている。仙台市内の宿舎で取材に応じた原沢GMは、谷について「功労者だし、日本シリーズの40人枠にも入っていた選手。判断は迷うところだったが、本人の出場機会を求めたいという意志が強く、取るべき手続きを取った」と円満退団を強調。一方、谷も「体も動くし、走ることもできる。野球が好きなので燃え尽きるまでやりたい」と語り、残り79本に迫った2000安打を念頭に、他球団への移籍を模索していく意思を示した。

    だが、谷より早く“構想外”となっていた小笠原道に関する発表がなかったことが、波紋を呼んだ。原沢GMは「(戦力外通告の手続きをした選手の中に)入っていない選手に関してどうこうは言えない」としたが、依然として片づかないベテランの処遇問題に、球団内からは不満が噴出している。現場スタッフの一人は「監督は今まで何度も起用法を通じてフロントに意思表示してきた。今回、日本シリーズの40人枠に入れなかったのも『いい加減に決断してくださいよ』ということですよ。フロントがメンツを気にするあまり、監督ばかりがつらい決断を強いられている」と煮え切らない対応を批判した。

    現役続行を希望している小笠原について、戦力外通告という形をとりたくないフロントは現在、トレード移籍を模索しているとみられる。だが、話がまとまらず来季も球団に残るようだと若手の士気にも影響しそうだ。

    「球団は僕らの出場機会をどう考えているのか。一軍で使わないとわかっているベテランをいつまでも置いている余裕があるんでしょうか」と疑問を投げかける声は多い。

  • 顔も見たこともない後輩、若き天才の学生時代の文章。ご冥福をお祈りましす。

    顔も見たこともない後輩、若き天才の学生時代の文章。ご冥福をお祈りましす。

    あまりにも素敵な文章だったので、転記しちゃいます。才能の差を感じさせる嬉しくも寂しいときですね。

    「空と声と勝利と ~最後の運動会に寄せて~」

    グラウンドに寝転がって、空を見るのが好きだ。はじめて気がついたのはたぶん中2の時だったと思う。厳しい練習が終わって、ストレッチをするときに、仰向けになったら、空が見えた。360度、覆いかぶさってくるような、端の見えない、空。吸い込まれそうで、そして、ときどき、自分がどこにいるのかわからなくなるような感覚におそわれながら、チーフの声が響くまでの、短い永遠だった。
    運動部に入らなかったから、グラウンドで寝転がるなんて、こんなときだけだったから、4月にこの空を見るたびに、しばらく忘れかけていた運動会の気持ちを思い出した。

    応援のときはいつも一番前だった。正直なところ、はじめは高3にいいところを見せたかっただけだったと思う。でもそのうちに「オー」という声が背中を押すような、駆け抜けていくような感覚が好きになって、何回かに1回ある、みんなの声がぴったりあった最高の「オー」を聞くのが楽しかった。
    声出しは今でもいつも一番内側。全員の声が一つになって地面ではねかえって、血を騒がせる。閉会式のエールの終わりの「フレーフレー」では、自分たちの声が遠くまで広がっていく、音にならない響きが聞こえるような静けさ。
    運動会に魅せられていく歴史は、同時に、声の力に魅せられていく歴史でもあった。

    中1の顔合わせでいきなり怒鳴られてからずっと、運動会の全部が好きだ。理不尽な顔合わせも、メガホンで怒鳴られる応援も。でも、それが嫌いな人もいる。僕らがどんな運動会を作り上げたって、全員が納得のできる運動会はおそらくできないだろう。それでも、運動会は、好きとか嫌いとか、そういった価値観の違いを超えて共有できる素直な感動のかけらがたくさんちりばめられた、開成の宝物だと思う。その感動の一つ一つを下級生に伝えていくことが、この素晴らしい運動会をずっと残していくために、僕たちができること。

    そして、運動会が好きだった僕は、知らぬ間に、運動会を愛すようになっていた。

    高2になって、はじめて運動会についてみんなで議論する場を経験して、僕と同じくらい、僕と違うやり方で、僕よりも真剣に運動会を愛している人たちがいることを知って、驚き、嬉しかったし、少し悔しかった。運動会を愛しているなんて簡単に口にしてはいけないのかもしれない。僕は運動会に恋をした。そして、運動会のために、真剣に考え、すべてを尽くして、運動会を愛せるようになりたい。

    でも、僕はまだ、運動会最高の感動を知らない。
    はじめて勝ったのは、中2の1回戦。実対、本番合わせて7回目ではじめてだった。勝てなくても運動会が好きだったけれど、勝って、もっと好きになった。勝つことがすべてではないけれど、勝ちたいと思って、勝ちにこだわって、勝って、はじめて知る世界があった。
    去年の高3棒倒しの決勝、そのはりつめた空気に、桟敷で体の震えがとまらなかった。あのしびれるような時間の中で、棒倒しをしたい。今でも、決勝の舞台の中にいる、その自分の姿を思い浮かべるだけで、体じゅうを血がさわぎ、歓びが抑えきれない。
    そして、優勝した黄組が桟敷の前を通り過ぎるとき、気がつくと「おめでとう」とつぶやいていた。こんなに素直に人を祝福できるのははじめてだった。あのときグラウンド中が彼らと歓びを共にしていた。すべては、あの瞬間のために、ある。

    1つ嘘を書いた。1回だけ、練習でないときに、あの、空を見た。去年の緑戦で、KOされたあと、何もできなかった自分を悔やみ、立ち上がることができずにいたときに、空は、かたくて、遠ざかっていくようだった。自分のふがいなさを見せつけられているようで、逃げるようにして立ち上がった。
    もうあんな空は見たくない。
    優勝しよう

    運動会に捧げられたすべての情熱に敬意を表して

     

  • 今年の目標は、「これ以上太らない」「なるべく早起き」「頭をちょっと使う」の3つにしました。

    誕生日とか、新年になると、だいたい何らかの目標を立てるのですが、失敗に終わるのが常です。

    なので、今回はハードルをかなり下げてみました。どこまでできるか楽しみです。できなくても気にせず、気ままに生きていこうと思います。