福地先生、駒東で先生をやっていたんですね。そして、ショパンを弾くイメージは全くなかったです。

福地先生、駒東で先生をやっていたんですね。そして、ショパンを弾くイメージは全くなかったです。

もっとも、私はショパンを弾いてもらっても、激励された気持ちにはならないですけど。

 

そんな高校生活を、福地先生に救われました。先生は駒東教師の傍ら、大学院に通って数学の研究を続けていました。どの生徒にも分け隔てなく接し、生徒が失恋して落ち込んでいると体育館のピアノでショパンを弾いて激励し、悩んでいる生徒には夜遅くまで人生相談に乗っていました。

高2の時、「社会科学研究会」というサークルを作り、文化祭で原子力潜水艦の横須賀への寄港阻止を訴える発表をしました。校長は生徒の政治的な活動に反対でしたが、「自分が変なことはさせない」と説得してくれたのも福地先生でした。

福地先生の授業は、高校数学にとどまりませんでした。「高校の問題には必ず答えがあるが、数学には未解決の問題もある」と話し、当時未解決だった数学の難問「四色問題」を余談で話してくれました。私が後に「グラフ理論」という数学の研究を始めたのも、この時の先生の余談があったからです。

https://www.yomiuri.co.jp/serial/jidai/20250814-OYT8T50095/