

第24回と書いてあったから、かなり昔からあるんでしょうが、私が実家を離れてから、それ以上経つので全く知りませんでした。
当時は、上福岡の七夕祭りが夏のメインイベントだった気がします。
普段はやみくもにつぶやいているわけですが、その中で、特に私の心に残ったことについて、ピックアップしています。



第24回と書いてあったから、かなり昔からあるんでしょうが、私が実家を離れてから、それ以上経つので全く知りませんでした。
当時は、上福岡の七夕祭りが夏のメインイベントだった気がします。

いやあ、人生、何が起きるかわからないですね。サザエさんもびっくりのうっかりでした。

いずれ、撮影して、動画をUPしたいと思います。
ガチで、プロフェッショナルな立小便なんですよ。でも、公園には子どもが多いので、鉢合わせにならないといいけど。
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今年は長女が大学受験だし、来年は長男が高校受験。しばらく、受験が続きますが、良い結果となることを祈っています。何もしてやれないので、祈るだけです。もちろん、お金は払いますが。
自分自身の目標は、もう少し筋肉質の体になることと、将棋で昇段することですかね。今までの継続で、何の面白みもないですけど。
あと、去年、書くと言っていた「子どもたちへの遺言状」を書きたいなぁ、と思っています。遺言状と言っても、財産がないので、分配がどうこうという話ではなく、単に、伝えたいことを整理して文章にするということです。
ま、ゆっくりと生きていくことになるでしょう。
仕事はどうでもいいんですけど、せっかくなんで2023年は転職マーケットでの価値を高めておきたいな、と思っています。

しかも、前科1犯。
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中道通りを歩いていたら、ちょっと汚らしいおじさんが、公園を向きながら、ぼーっと立ってました。
子どもが遊んでいるのを見ているのかなと思ったけど、あまりにも動きがないので、よくよく見ると、、、
立小便しているじゃないですか!!!
いやいや、午後3時とかに、公園で立小便する?昼だからね、昼。
しかも、壁に向かってするわけでもなく、公園の内側に向いてしているなんて、ありえないでしょ。普通に、公園で遊んでいる小さい子どもたちと目が合っちゃうでしょ。
もしかして、公然猥褻なの?
いや、その割には、ただ静かに、小便をしていので、性的な興奮のためにやっていたわけじゃない気がします。
公園でペチャクチャしゃべっているマダムたちは、話に熱中して、立小便に気づかない様子。まあ、気づかないで幸せだったのかもしれません。
世界中で、この立小便を知っているのは、立小便師と私だけ。少なくても大人では。
それにしても、なぜ、立小便を、あの場所でしようと思ったんでしょう。私が知る限り、吉祥寺で最も、立小便に相応しくない場所だと思うのですが。目の前に、公園を一望できるガラス張りのカフェがあるし、四方八方から見える場所ですから。
・・・我慢できなかったのかな。
我慢できなかったとしては、そんなに切羽詰まっている割には、所作が落ち着いていました。
小便の勢いも、跳ね散らかすこもなく、安定した軌道を描いていましたし。
・・・やっぱり、公然猥褻だったのか。
公然猥褻だとしたら、私以外の誰にも気づかれず、全く目的を達することができませんでしたね。
もしかしたら、だるまさんが転んだ、みたいに鬼に気づかれないように、立小便するというゲームなのかもしれません。吉祥寺版、イカゲーム。
それか、アイロンをいろんなところで掛ける人たちの立ションバージョン。
まあ、いずれにしてもヤツはプロだなと思います。あの落ち着きっぷりはハンパないです。
そんな彼には、チンメダルをあげたいと思います。

どういう了見なんだろう?全く意味がわかりません。バカなんじゃいかな、バーカ、バカ。
これで、自分は生活指導をしているつもりなのかな、ある意味、幸せだな。わざわざ受験までさせたのは、こんなことのためじゃないんですけどね。


お盆に帰らなかったので、実家に線香を上げに行き、母と話をしました。コロナで、かなりの自粛生活を送っているようです。やっぱり、怖いですよね。死をちらつかせられるわけですから。
でも、ここで、考えて欲しいです。新型コロナが完全に終息することは考えにくいうえ、たとえ、新型コロナが終息したとしても、超新型コロナがきっと出てくるでしょう、ということを。
そんな中、「高齢者は、残りの人生をコロナに怯えながらガチガチの安全サイドで暮らすのか、多少のリスクを背負って楽しむのかの選択をしたほうが良い」と思いました。
残りの人生、孫たちにはZOOMで会うだけにし、老人コミュニティの人たちとも会わず、出かけるのもミニマムにして過ごすのか。それとも、感染症対策はするものの、最低限のリスクを背負って、人にも会うし、旅行にも行くのか。どちらの人生を歩みたいか、自分で決めるべきです。
私は圧倒的に後者の考え方なんですが、人それぞれなんで、どちらが良いというわけでもないです。もちろん、ゼロイチの話じゃないので、その中間という人がいても良いと思いますけど。
こういった議論って、例えば、余命宣告されたとき、極限まで延命、根治を目指して頑張るのか、それは諦めて、痛みをコントロールして、健康的に生活できる時間を大切に使うのか、という意思決定と同じような感覚じゃないかと思います。生物学的な命を重視するか、人間的な生活を重視するか、みたいな。
だから、延命治療をしないで欲しいという人は、なんとなく、コロナのリスクも受容するほうが自然な気がしています。
もちろん、感染症だから、他人に迷惑を掛けないということも重要で、できる限りの対策はするべきではあるものの、そもそも、人間は生活すれば、何かしら他人に影響を与え、場合によっては、迷惑をかけることになるので、常識的な範囲で実施すれば良いと思っています。
だって、目に見えないし、科学的根拠もどれだけ正確かわからないし、対策をとっても100%ではないし、コロナを克服しても、次のコロナがきっと出てくるだろうし・・・
ということで、年老いた母には、より積極的に楽しむ人生を選択して欲しいなぁ、と思う次第です。

言われていれば似ているかも。神アプリだな、これ。作った人、天才かも。
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なんぼなんでも、これはナシでしょ。あなかしこ、あなかしこ。字体だけですからね、似ているのは!