タグ: 長男

  • 大地を守る会の25m海苔巻きのイベント。くだらない企画だけど、それを実現しちゃうところが好き。

    大地を守る会の25m海苔巻きのイベント。くだらない企画だけど、それを実現しちゃうところが好き。

    大地を守る会は体に優しい食材を提供してくれる会社で、その理念が好きで、ちょっと高いけど宅配をしてもらっています。

    http://www.daichi.or.jp/

    実際、野菜とかがそのままでも美味しく、野菜の本当の味とかがわかります。結構、甘いんですよね。

    そんな会社のイベントて、25mの海苔巻きを作るとのこと。

    なんじゃ、そりゃ。

    抽選で当たったのが2名だったので、妻と長女が参加。

    長男と私は食べるの専門でしたが、美味しくいただきました。

    その他、いろいろなイベントがあり、ひのきの鉛筆立て作りや、キッズカフェなどを満喫しました。それにしても、大地のお茶はペットボトルなのに美味しいのにびっくりです。

  • パパと遊ぼう。幼稚園児と一緒にやる「靴取り」が楽しい。

    パパと遊ぼう。幼稚園児と一緒にやる「靴取り」が楽しい。

    父親参観を「パパと遊ぼう」と言うらしい。

    いわゆるオーソドックスな参観。

    自由時間に靴取りをやったら、結構、面白い。

    単純に靴を取るだけのゲームなんだけど、盛り上がる。長男も最後に上手に靴を取っていました。

    一番、盛り上がっていたのは、お父さんたちだったような気がします。

    そのせいか、若干の筋肉痛。

  • 長男の英語嫌いと長女の工夫に思わず苦笑。ドメスティックな私の影響か?

    長男の英語嫌いと長女の工夫に思わず苦笑。ドメスティックな私の影響か?

    幼稚園の延長線上で通っている英語。

    来年も続けるかどうか、長男に聞いたら、「やらない」の一言。

    小さいうちから異文化に接するのは良いことだと思っていたので、どうしてか聞いてみると、「だって、何言ってるかわからないんだもん。」

    いや、そうですけどね。わからないから、わかるようになるために行くんじゃないのですかねぇ。

    長女も近くの英会話教室的なものに通っているけど、かなり、のほほんとしている感じで、やる気のカケラもない感じ。

    ライティングとリスニングの宿題が毎回出るけど、ライティングは帰ってきてすぐやるけど、リスニングはいつも直前にやるので、リスニングは忘れがち。

    昨日は自信満々に、「リーディングの宿題は今日はやらないの。」とのこと。

    理由は「リスニングの宿題を忘れないように、ライティングの宿題をやらないようにする」らしいです。恐らく2つとも忘れるんじゃないのかな。

  • 長男が将棋の敏感期。詰め将棋の成果はまだ出ないみたい。

    長男が将棋の敏感期。詰め将棋の成果はまだ出ないみたい。

    ここは守らなければならない時とか、駒を取っている場合じゃないとかいう大局観がないので、せめて終盤だけでもと詰め将棋を購入。

    解けない問題は答えを見たがる悪いクセが、出ちゃっていますが、とりあえず黙認。楽しくやってください。

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  • 長女が「こすずめのぼうけん」と「電池が切れるまで」を弟に読み聞かせ。いつもこのぐらい平穏な時間が流れるといいのに。

    長女が「こすずめのぼうけん」と「電池が切れるまで」を弟に読み聞かせ。いつもこのぐらい平穏な時間が流れるといいのに。

    喧嘩をするまでは仲良しなんですけどね。

    こすずめのぼうけんは、未知の世界へどんどんチャレンジして欲しいという思いをこめて選んだんですけど、長男にはあまり伝わらなかった感じです。

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    電池が切れるまでは、さすがの長男も病気の子供たちのことを少し神妙に受け止めていた可能性があります。

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  • 長女が弟に対して、「自分を好きになる本」を読んであげていたのに、感動しました。

    長女が弟に対して、「自分を好きになる本」を読んであげていたのに、感動しました。

    長男が、生まれてきたくなんてなかった的な捨て台詞を吐いたので、わざわざ読んであげていました。

    長男の心には現時点では届かなかったかと思いますが、いずれ届くと思います。

    幼稚園の頃、弟の悪口を言われると泣いていた、弟思いの長女の優しさに乾杯ですね。

    本自体も、短くまとまっていて、素敵な本でした。

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    だいじょうぶ。
    きっとうまくいく。

    自分を好きになることは、大人にとっても、子どもにとっても、むずかしいことです。
    ほめられることよりも、しかられることのほうが多い毎日。
    私たちは自信を失い、無力感に襲われます。
    でも、誰にだって、自分だけの輝きがあるのです。その輝きを見つけてください。

  • 取っ組み合いの喧嘩をしていたかと思えば仲良くみている。これはiPadの力か、それとも、Youtubeの力か。

    取っ組み合いの喧嘩をしていたかと思えば仲良くみている。これはiPadの力か、それとも、Youtubeの力か。

    いずれにしても効果抜群。真剣なまなざしで、食い入るように観ている長女と長男。さっきまでの修羅場が嘘のよう。

    が、教育上、どこまで認めるかというのは、難しい問題です。

    みんな、どうしているんだろう?

  • 今ここにあるフツーが、本当は大切なものなのかもしれません。空気みたいに。

    今ここにあるフツーが、本当は大切なものなのかもしれません。空気みたいに。

    子供たちと、たたいてかぶってジャンケンポンをしていて、最近、読んだ闘病記ブログを思い出しました。

    死んでいく人にとっては、日常で満足なんだけど、生き残る人には、支えとなる良き思い出が必要だというようなことが書いてあります。

    http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1834128/1843318/87087505

    こんな病気ですので、どこかに遊びに行くにしても、息子とボールを蹴るにしても、友人と会うにしても、何かを食べるにしても、これが最後かもしれないという思いが頭の片隅にいつもありました。

    しかし、これが最後かもしれないから心残りの無いようにと考えると、涙ばかり出てきてちっとも効率が上がらないので、頭の片隅だけに留めるようにしています。そうすると、結局いつもと変わらずに食べたり話したりボールを蹴ったりして、特別なこともなく終了します。以前よりもちょっとその時間に対する集中力が高いのが、違いといえば違いです。

    考えるに、これが最後だからといって特別なことをする理由は、死んでいく側からすればあまりありません。いつものように食べたり話したり遊んだりした記憶こそが大事な思い出なのであって、いつも通りの最終回でかまわないのです。

    しかし、残されて生き続ける側はちょっと違います。生き続けるには特別な思い出が必要です。家族や近しい友人にとって、故人との最後の思い出が、特別で楽しい心残りないものであったか、何だかわからないうちに終わった普通のものであったかは大きな違いです。その思い出とともにこの先何十年も生き続けないといけないのですから。

    というわけで、自分自身のためには「普通の日常生活(もしくは極力それに近いもの)」をたんたんと、かつできる限り積み重ねていく一方で、家族や友人、特に息子達と家内には、少しでもその後の人生の糧となるような特別な思い出を多く作ってあげたいです。体が満足に動かなくなった今、水族館やサッカー観戦に連れていってあげるという息子達との約束すらかなえてあげられなくなってしまいましたので、何が出来るかは考えないといけません。

    こう書くと、死を前にしてなお家族を思いやるりっぱな人のように見えるかもしれませんので断っておきますが、そんなことはないのです。私はいままで、人に「すごいね」「えらいね」「ありがとう」と褒めたり感謝されたりすることで、自分の満足を得ることを目的として生きてきたように思います。言ってしまえば称賛や感謝を受けて自己満足することが生き甲斐なのです。

    家族に思い出を作ってやりたいのも、家族から「ありがとう」と感謝されたり、「頑張ったね」と褒められたりしたいからなのです。そうして自己満足を得て、「俺はよくやった」と思えればそれでいいのです。

    ブログへのコメントに冷静でしっかりしていると書かれることがありますが、たぶん愚痴や怒りが書かれていないからそういう印象になるのでしょう。そう心掛けて書いていたわけではないので自分なりに分析してみると、これも私が鉄の意思を持つからではなく、ブログを読んだ人に「役に立った」「すごい」と感心してもらいたいためなんだと思います。愚痴や怒りが書かれていても、読む方にはたいした役にはたちませんし、感謝もされません。無意識のうちに役に立ちそうな情報に絞るうちに、愚痴や怒りが削ぎ落とされているんだ、というのが自己分析の結論です。

    父親の闘病生活のことを思い出しました。

    私は、父の体の動くうちに、自分が建てた家を見に来てもらって、何だかんだ言っても、それなりに立派に育った、と思って欲しかったし、最後に子供の頃のように将棋を1局指したかったという希望がありました。どこか近場に旅行でも行きたかったという気持ちもありました。

    が、父はそんなに積極的ではなく、ただ実家にいることを望んでいて、特に何もすることなく、他界しました。

    実はちょっぴりと後悔していたのですが、このブログで、私の感情は生きている者のエゴに近いものだったとわかって、ちょっとすっきりしました。考えてみれば、そんなもんですよね。

    長女で印象深いのは、3歳の頃、妻と私が起きて、部屋に誰もいなくなってから、目を覚ますと、寂しがりやなので、すごい勢いで走って起きてくるときの、あの鬼気せまる顔だったりしますし、長男も3歳の頃、気に入らないことがあると、上目遣いで睨むブサイクな顔だったりします。そう、本当に日常的なことなんですよね。

    完全に話がそれましたが、この瞬間瞬間の日常を満喫するということが、とても大切だなぁ、と改めて感じた次第です。

    参考までに引用したブログの著者は、2ヶ月も経たずに亡くなってしまっております。家族が元気だといいですね。

  • 叩いてかぶって、ジャンケンポンを子供たちとやって盛り上がる。

    叩いてかぶって、ジャンケンポンを子供たちとやって盛り上がる。

    長男の私の頭をたたいたときの得意げで嬉しそうな顔ったらありません。長女もいつまで一緒にお風呂を入るのか微妙な年頃になりましたが、盛り上がっています。

    何の変哲もない、だけど、そう長くは続かない日常そのままを満喫しております。子育てなんてそんなもんかもしれませんね。

  • 子供たちと将棋。手を抜いているんだけど、どうやっても勝っちゃう。

    子供たちと将棋。手を抜いているんだけど、どうやっても勝っちゃう。

    P3

    結局、勝っちゃうので、負けず嫌いの2人は大変。負けようと思うけど、王手を見逃すなどのことをしないと、なんとなく勝っちゃう。2人とも大局観がないのが致命的。王様を取りにいって欲しいのに、反対方向にと金を動かしたり、もう終盤戦なのに、自陣から銀がじわじわ出てきたりでなかなか難しいです。

    それでも、男だからか、理系脳だからかわからないけど、長女よりは長男のほうが強く、ここでも負けず嫌いのバトルが発生し、大変。

    強くなるためには、終盤力が重要ですね。1手詰めの詰将棋かな。

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  • 長男がジクソーパズルの敏感期、ふたたび。折角だから、少しレベルアップするかな。

    長男がジクソーパズルの敏感期、ふたたび。折角だから、少しレベルアップするかな。

    難しすぎて、挫折しないものを探すのが大変。恐竜好きなので、恐竜のものにしようと思っています。

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    ポストカードサイズだから、ちょっと小さくて難しいのだろうか。以下はもともと、持っていた公文のもの。

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