長女も気に入っているので、買って良かったです。それまでは、妻の「おさがり」でちょっぴり気の毒だったので。

子供たちと、たたいてかぶってジャンケンポンをしていて、最近、読んだ闘病記ブログを思い出しました。
死んでいく人にとっては、日常で満足なんだけど、生き残る人には、支えとなる良き思い出が必要だというようなことが書いてあります。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1834128/1843318/87087505
こんな病気ですので、どこかに遊びに行くにしても、息子とボールを蹴るにしても、友人と会うにしても、何かを食べるにしても、これが最後かもしれないという思いが頭の片隅にいつもありました。
しかし、これが最後かもしれないから心残りの無いようにと考えると、涙ばかり出てきてちっとも効率が上がらないので、頭の片隅だけに留めるようにしています。そうすると、結局いつもと変わらずに食べたり話したりボールを蹴ったりして、特別なこともなく終了します。以前よりもちょっとその時間に対する集中力が高いのが、違いといえば違いです。
考えるに、これが最後だからといって特別なことをする理由は、死んでいく側からすればあまりありません。いつものように食べたり話したり遊んだりした記憶こそが大事な思い出なのであって、いつも通りの最終回でかまわないのです。
しかし、残されて生き続ける側はちょっと違います。生き続けるには特別な思い出が必要です。家族や近しい友人にとって、故人との最後の思い出が、特別で楽しい心残りないものであったか、何だかわからないうちに終わった普通のものであったかは大きな違いです。その思い出とともにこの先何十年も生き続けないといけないのですから。
というわけで、自分自身のためには「普通の日常生活(もしくは極力それに近いもの)」をたんたんと、かつできる限り積み重ねていく一方で、家族や友人、特に息子達と家内には、少しでもその後の人生の糧となるような特別な思い出を多く作ってあげたいです。体が満足に動かなくなった今、水族館やサッカー観戦に連れていってあげるという息子達との約束すらかなえてあげられなくなってしまいましたので、何が出来るかは考えないといけません。
こう書くと、死を前にしてなお家族を思いやるりっぱな人のように見えるかもしれませんので断っておきますが、そんなことはないのです。私はいままで、人に「すごいね」「えらいね」「ありがとう」と褒めたり感謝されたりすることで、自分の満足を得ることを目的として生きてきたように思います。言ってしまえば称賛や感謝を受けて自己満足することが生き甲斐なのです。
家族に思い出を作ってやりたいのも、家族から「ありがとう」と感謝されたり、「頑張ったね」と褒められたりしたいからなのです。そうして自己満足を得て、「俺はよくやった」と思えればそれでいいのです。
ブログへのコメントに冷静でしっかりしていると書かれることがありますが、たぶん愚痴や怒りが書かれていないからそういう印象になるのでしょう。そう心掛けて書いていたわけではないので自分なりに分析してみると、これも私が鉄の意思を持つからではなく、ブログを読んだ人に「役に立った」「すごい」と感心してもらいたいためなんだと思います。愚痴や怒りが書かれていても、読む方にはたいした役にはたちませんし、感謝もされません。無意識のうちに役に立ちそうな情報に絞るうちに、愚痴や怒りが削ぎ落とされているんだ、というのが自己分析の結論です。
父親の闘病生活のことを思い出しました。
私は、父の体の動くうちに、自分が建てた家を見に来てもらって、何だかんだ言っても、それなりに立派に育った、と思って欲しかったし、最後に子供の頃のように将棋を1局指したかったという希望がありました。どこか近場に旅行でも行きたかったという気持ちもありました。
が、父はそんなに積極的ではなく、ただ実家にいることを望んでいて、特に何もすることなく、他界しました。
実はちょっぴりと後悔していたのですが、このブログで、私の感情は生きている者のエゴに近いものだったとわかって、ちょっとすっきりしました。考えてみれば、そんなもんですよね。
長女で印象深いのは、3歳の頃、妻と私が起きて、部屋に誰もいなくなってから、目を覚ますと、寂しがりやなので、すごい勢いで走って起きてくるときの、あの鬼気せまる顔だったりしますし、長男も3歳の頃、気に入らないことがあると、上目遣いで睨むブサイクな顔だったりします。そう、本当に日常的なことなんですよね。
完全に話がそれましたが、この瞬間瞬間の日常を満喫するということが、とても大切だなぁ、と改めて感じた次第です。
参考までに引用したブログの著者は、2ヶ月も経たずに亡くなってしまっております。家族が元気だといいですね。

これなら、嫌いな会社でしみじみ仕事をしていたほうが100倍楽ちん。定年になったら、どうしよう。早い段階で、自営業になったほうがいいかもしれませんね。
子供たちに、「焼酎飲んでもいいかな」とお伺いをたてたら、「パパにしては頑張ったからいいよ」だって。このパフォーマンスで頑張ったと言われてしまうレベルの低さに苦笑い。飲んで忘れます。
インフルエンザ自体は怖くないけど、子供たちが、順番にダウンすると、それはそれで大変。
何もすることがないので、ベネッセの教材のゲームをやっている。真剣そのもの。
間が持たないので、重宝してます。

教育相談っていうと、大袈裟だけど、簡単に言うと、親の個人面談。小学校の先生もいろいろと大変です。
妻が言うには、勉強面は問題ないけど、人との付き合い方をもっと上手になるといいとのこと。
残念でした。私自身が人付き合いに難があるので、それは遺伝です。きっと。DNAの力は偉大です。
でも、それで決定的に困ったことはないので、外野の言うことなど気にせずに、自分の思うように生きていってください。ただ、役に立つ外野かどうかの見極めができるように、いずれはなってくれることを願っています。

過去に素敵な文章だから引用した方の奥さんのお話が記事になっていました。
いずれサイトから消えちゃうので、引用しておきます。
人生、「定石」通りに事が運ばないことは往々にしてあるが、囲碁が結んだこの2人の運命もまた、打つ手、打つ手が効果なし。ことごとく定石が通じない日々に、募る悲しみの深さは如何ばかりだったのか――。その胸中を推し量ることはできない。
ダイヤモンド囲碁サロン(東京・千代田区)でインストラクターを務める押田華奈さん(32)は、昨年10月に最愛の夫を病で亡くした。
長尾健太郎さん、享年31歳。病名は聞き慣れない「胞巣状軟部肉腫」。いわば筋肉にできる珍しい癌で、1000万人に1.5~3人の確率でしか発症しない難病だった。押田さんが振り返る。
「彼は15歳のときから発病していて、私と付き合い始めた頃にはすでに足に大きな手術の傷跡がありました。ただ、詳しい病名は聞きませんでしたし、彼も至って元気だったのでさほど心配もしていませんでした」
2人が出会ったのは今から13年前。アマチュア日本一が主催する若手の囲碁研究会だった。
当時、長尾さんは私立男子校の御三家、「開成高校」に通う3年生。中学から高校にかけて出場した数学オリンピックでは、連続して銀メダル1つ、金メダル3つという史上初の快挙を成し遂げ、「開成始まって以来の天才」とまで言われていた。
一方の押田さんは慶応大学1年生。2人を繋いだのは、ともに幼いころから習い始めた趣味の“碁縁”だった。
「子供のころから碁でできた友達は、なぜか気を許して長く続く関係の人が多かったんです。彼も学業は優秀だったみたいですが、そんなところに惹かれたのではなく、決して偉ぶらずに謙虚で優しい性格だったので……」
と少し照れながら話す押田さん。その後、長尾さんは現役で東京大学に合格。数学の研鑽を積んだ後、京都大学大学院に進学するも、2人の交際は遠距離恋愛で大事に育んでいった。押田さんもまた、大学卒業後は囲碁の世界で身を固め、NHK囲碁講座や囲碁将棋チャンネルの司会に抜擢されるなど、華々しい人生をスタートさせた。
しかし、お互い自立した生活を送り「結婚」の二文字も意識し出したこの頃から、長尾さんの壮絶な闘病生活が始まったという。
「結婚するなら彼が京大の博士号を取ってからと心に決めていたんです。でも、25歳を過ぎてから彼の病気は肺に転移するなど進行が早まりました。そのとき、初めて正式な病名も聞きました。急いでネットで調べても症例が少なく治療法が確立していない。転移がある場合は“予後不良”としか書いてありませんでした。難しい病気なんだなと……」
両親の反対もあり、さすがに結婚を躊躇したとも打ち明ける押田さん。しかし、最終的には自分の意志を貫き、2009年5月、晴れて「長尾華奈」になった。なぜ、結婚を決意したのかと問うと、押田さんはしばらく考えた末にこう答えた。
「彼との付き合いは長く掛け替えのない存在ですし、もし私が病気で彼が元気でも、きっと結婚してくれるだろうなと。私の背中を押したのは、常に相手の立場でものを考える囲碁的な発想だったのかもしれませんね」
結婚後、長尾さんは妻を連れてイギリスのオックスフォード大学に留学。帰国後は名古屋大学多元数理科学研究科の助教として、数学者への道を一歩ずつ着実に歩んでいく。2010年には待望の子供も授かり、家族3人で力強く生きていこうと改めて誓ったのも束の間。すでに病魔は長尾さんの体中を蝕んでいたという。
「イギリス滞在中に脳に転移し、それからは心臓や目にまで……。有効と思われる治療法はなんでも試し、数えきれないくらい手術もしたのですが、昨年の6月以降は状況が悪くなる一方でした。海外出張に出掛ける成田空港で意識を失ったり、言葉がうまく出せなくなったり。それでも彼は弱音を吐かず、子供の成長を生きる希望にしていました」
2013年9月、長尾さんはイギリス時代の研究成果が認められ、日本数学会から名誉ある「建部賢弘賞」を受賞する。だが、愛媛県で行われた受賞式が3歳の息子に見せた「かっこいい父親」の最後の雄姿となった――。
「息子はずっと『大きくなったらお医者さんになって、パパの病気を治すんだ』と話していましたが、彼が亡くなってからは一切口に出さなくなりました。最近はよく数字を数えているんです。それも間違えながら400、500まで。やはり父親の血ですね」
そう言うと、それまで努めて明るく取材に応じていた押田さんの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「これから先、囲碁の仕事をどこまで続けていくか何も考えられない状態です、でも、私が彼と出会ったのも碁の縁ですし、子供にもいずれ碁を教えたいです。そして、碁を通じて彼のように謙虚で、相手の立場でものを考えられる大人に育って欲しいと思います」
今日、1月5日は「囲碁の日」。この日ばかりは勝敗にこだわらず、碁縁の絆を確かめ合う日にしてもいいだろう。
http://www.news-postseven.com/archives/20140105_233774.html

あまりにもわかりやすすぎ。バームクーヘンを食べたいということは、もう十分回復したという説も・・・。

秩父に来たのはいいけれど、何の計画もなく来たので、ミューズパークを目指したところ、途中で、カートができる場所を発見。聞いてみると、長女はショートコースなら運転できるとのこと。
結構、高かったんですけど、早速、やってみました。
長女が亀のように顔を突き出して運転している姿が、なんともかわいく、微笑ましかったです。予想通り、慎重派なので、スピードを出さずに、カーブを曲がっていたのですが、最後の直線ではブレーキを踏まなかったので、ぶつかりそうで焦りました。
でも、本人は、車の運転が楽しい、と何度も言っていたので、いい経験だったと思います。
長男もまた妻の助手席で、ノリノリでした。まだ運転できないので、いっぱい食べて、いっぱい運動して早く大きくなるようにと、伝えました。