- 2013/12/30
宴の後。記憶がない中で、ケーキの残りが辛うじて結婚のお祝いだということを思い出させてくれました。
寿司パーティー、もっともっと食べるつもりが、飲みすぎてしまいました。40歳すぎたら一気飲みはいけませ……
もはや、故意か重過失かはどうでもいい。というより、科学者なら故意と断定していいんじゃないかな。
もてはやされ、捏造がばれた、ゴッドハンドのことを思い出すのは私だけでしょうか。でも、ゴッドハンドも世間は忘れ去っているので、小保方さんも少しの辛抱ですね。
発見効率の良さや発見の様態が不自然であるとする意見、藤村をはじめとする東北旧石器文化研究所の「業績」への疑義等はあったが、学会では少数派であり、考古学界はこうした意見をほとんど軽視、または傍観してきた。藤村が所属する団体の調査結果に疑念を抱く考古学関係者もいた。しかし、それを糾弾する人は少なく、疑念を抱くほとんどの人は彼らとの関係を絶って自分の研究業績に傷がつかないように保身した。彼らも意図的な捏造ではなく、勘違いや混入品だと信じていたようである。
発掘現場での藤村の不審な行動に疑念を持った人からの情報提供に基づき、毎日新聞北海道支社がチームを編成しての取材に着手した。発掘の現場に張り込みを行い、藤村があらかじめ石器を遺跡に埋め込み仕込んでいる様子の写真・ビデオ撮影に成功した。その後、直接の取材と捏造の確認を経て、2000年11月5日の朝刊で報じた。それが発端となり、それまでの業績のほとんどが捏造であることが判明し、日本からは確実と言える前期・中期旧石器時代の遺跡が消滅した。このため、過去四半世紀に及ぶ日本の前期・中期旧石器時代研究のほとんどが価値を失い、登録遺跡(埋蔵文化財包蔵地)の抹消・教科書の書き直しなど、大きな影響が生じた。彼が捏造にかかわった遺跡は宮城県が中心であるが、調査の指導などで呼ばれた北海道から関東地方まで広い範囲で捏造を行っていた。
藤村に対する告発も検討されたが、現行法では罪に問うのは難しいとして見送られた。2003年に福岡県の考古学者が藤村新一を偽計業務妨害の疑いで告発したが、仙台地方検察庁は証拠不十分として不起訴処分にした。
事件後、藤村は瑞巌寺の修行専門道場に11月末まで数週間滞在。その後は東北のある病院にしばらく入院していた。病状を理由に入院先の詳細は公開されなかった。またこれまで戸沢充則(明治大学名誉教授、日本考古学協会特別委員〈当時〉)が面会して捏造事件を引き起こした理由その他について告白を得た他は、病状悪化を理由に面会謝絶の状態が続いていた。2001年2月には妻と離婚。家族は事件を原因として激しい嫌がらせを受けていたという(週刊朝日2001年10月26日号)。
藤村の弁によれば、功名心から捏造を始めたものの、「神の手」などともてはやされるようになり、プレッシャーから捏造を続けてしまった、とのことである。さらに当初は、捏造は一部と思われていたが、捏造の範囲が相当に広いことが判明し、世論は厳しさを増した。解離性同一性障害を発症し、障害者認定を受ける。一方、2003年に入院先で知り合った女性と再婚している。また、右人差し指・中指を自ら切断した。
後に福島県の障害者就労支援のNPOで勤務した。そして、遺跡等の捏造に関する記憶は精神疾患により残っていないと述べている(週刊新潮2010年11月11日号)。2010年11月、妻の精神的治療に専念するという理由で上記NPOを退職する。東日本大震災の際は一時期避難生活を余儀なくされた。現在は南相馬市で年金暮らしをしている(週刊新潮2012年9月27日号)。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9D%91%E6%96%B0%E4%B8%80