41歳で余命知った肺癌医師が遺した死への記録、強い意志が感じられて、泣けてきます。

41歳で余命知った肺癌医師が遺した死への記録、強い意志が感じられて、泣けてきます。

子どもが生まれてからというもの、闘病モノにはめっきり弱くなりました。

https://toyokeizai.net/articles/-/381708

2001年ブログもなかった頃にPHSで書いた日記

故人が残したブログやSNSページ。生前に残された最後の投稿に遺族や知人、ファンが“墓参り”して何年も追悼する。中には数万件のコメントが書き込まれている例もある。ただ、残された側からすると、故人のサイトは戸惑いの対象になることもある。

2001年ってブログって言葉なかったんですね。そう言われてみればそうかもしれません。ブログじゃなくて、ウェブログだったような記憶もあります。

 

以下、抜粋です。コメントは必要ないですね。

http://www.inter-pro.ne.jp/~ina/

以下、こども達との会話。
「お父さん、長生きしたい?」
内心ドキッとしながら答える。
「長生きしたいよ。(でも、中学生になった君たちの姿は見られないだろうな)」
「お父さん、何かしたいことある?目標は?」
「そうだな、自分のホームページを作ることかな。(本当の目標は、来年の君の10歳の誕生日まで生きていることなんだけど、ちょっと難しいんだ)」

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子供たちとトランプをして遊ぶ。幸せな時間だ。

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気分はだいぶん良くなった。
病気自体の症状にしろ副作用症状にしろ、苦しい時とそうでない時では、考えることがまるきり違う。苦しい時には前向きに考えられなくなる。やはり癌治療にはQOLを優先した治療が正解であると、患者としても思う。

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久しぶりに家族4人で外出。楽しく過ごした。こうして過ごせることに感謝。

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娘の9歳の誕生日。バドミントンのまねごとをする。記憶に残ってくれたらいいな。

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息子と久しぶりにキャッチボールを始めるも、すぐに疲れてしまう。息子は物足りなさそう。

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子供達に再入院について伝える。
息子は「嫌だ、僕は認めないからね。」
娘は「だめだよー。だめだよー。」と泣いた。
これから先、痛みと体力低下から徐々にADLが制限されてくるだろう。いずれ子供達にも病状を知らせなければならない時が来るであろう。
ただ、今は何も知らせず、できるだけ楽しい夏休みを過ごさせてやりたい。

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今日で夏休みも終わり。今年はどこへも連れていってやれなかったが、子供たちと一緒の時間をたくさん過ごすことができてよかった。

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秋晴れの空の下、小学校の運動会。車中で休みながら時々外へ出て、子供達の様子を見ることができて良かった。6年生の終わりのあいさつで、6年生にとっては最後の運動会と言っているのを聞いて、自分には人生最後の運動会だと思うと不覚にも涙ぐんでしまった。

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昨夜君たちを両脇に抱いてベッドで話した至福の10分間を、君たちはもう覚えていないだろう。
しかし、このHPはこうして今も存在し、人の役に立っています。
お父さんは、このHP作成によって、恵まれた闘病生活を送ることができました。
とてもいい人達との新たな出会いもあれば、心を病んだ悪人が存在することも思い知らされました。
さあ、君たちはどんな人生を送っているだろうか。健闘を祈る。お母さんを大切に。

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両親が来て、家族みんなで昼食。宮崎アニメ「魔女の宅急便」を観る。
入浴し、夕方病院へ。痛みが強いため、麻薬を開始することになった。

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モルヒネの持続静注が続いて、錯乱が生じてきたよう。人の名前もあまり思い出せなくなった。これ以上のHP更新は困難と判断す。