目的を伝えているつもりなんだけど、手段を指示しているように受け取られちゃうんだよなぁ。

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滅多にない、仕事の話。

例えば、「北に向かって進もう」という目的を伝えたとき、ついつい「ほら、そこに自転車が放置してあるじゃん。ユー、乗っちゃいなよ。」などと具体的な話をしちゃいます。

だって、そのほうがわかりやすいから。

でも、そうすると、自転車に乗ることが目的になっちゃって、途中に川があっても、車に乗れるチャンスがあっても、自転車に固執しちゃうんですよね。

「えー、なんで自転車になんか乗っているの?」と無邪気に聞くと、指示された通りやりましたとか、前言っていることと違うなどと不満そう。

ばーか、ばか。君子豹変すだよ。

とは言えないので、一応、説明はしますけど、、、

安い単金で働いている人ならそれでいいけど、高い単金で働いている人がそれだとげんなりしちゃいます。

付加価値とは、手段を臨機応変に選択できること、だったりすると思うんですが。

別の視点で考えてみると、子どもへの指示って、手段が多いですよね。

手を洗いなさい、片づけをしなさい、宿題をやりなさい、等々。

あー、つまらない。子どもだって嫌気がさすはず。

もっと怖いのは、手段を指示されるのが習慣化して、大人になっても、手段を教えてもらうのを待つようになってしまうことです。

だから、これからは、目的を指示するように心がけることにしました。

特に、うちのわからんちんの長男にはかなりハードルは高いですけど。