- 2020/09/13
藤井聡太が5連敗だなんて、豊島竜王、最強じゃん。ああ、それなら、名人戦で防衛して欲しかったなぁ。
我が家は、長男の影響もあって、豊島推しなので。 https://www.chunich……
韓国、ブラジル、ロシアに完敗。普通にやっていたら、勝てないんでしょう。それが現時点の実力なのかもしれません。
であれば、豪快なスパイクを打つ長岡選手と迫田選手を同時に使って欲しいものですね。
なんか、いつもどちらかしか使っていなくて、2人を交代で使っている気がします。
チームのバランスとかはあるんでしょうが、もう、点を取らなきゃいけない状況なので、超攻撃的な布陣というのもいいんじゃないでしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B2%A1%E6%9C%9B%E6%82%A0
福岡県山川町(現:みやま市)出身。三姉妹の末妹として生まれ、実姉の影響で小学2年よりバレーボールを始める。
東九州龍谷高校では、2009年、ウィングスパイカーとして同級生の栄絵里香、芥川愛加らとともに春高バレーおよびインターハイ優勝、国体優勝の年間3冠達成に貢献。同年12月の平成21年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会においてプレミア勢を連破する大殊勲の原動力となった。
またユース代表やジュニア代表として、2007年第6回アジアユースバレーボール女子(U-18)選手権大会優勝(ベストスパイカー賞獲得)、世界ユース女子(U-18)バレーボール選手権大会、2008年アジアジュニア女子選手権大会優勝などに貢献。
2010年1月、久光製薬スプリングスの内定選手となった。同年9月に中国・大連で開催された第2回アジアカップの全日本B代表として出場した。 同年12月4日のNEC戦でプレミアデビューを飾る。
2012年4月、全日本代表メンバーに選出された。同年9月、第3回アジアカップ代表として同大会に出場した。
2012/13Vプレミアリーグでは、チーム6年ぶり優勝の原動力となり、自らもMVP・ベスト6に輝いた。2013年5月の第62回黒鷲旗大会でも優勝に貢献し、ベスト6を獲得した。
2014年8月に開催されたワールドグランプリでは全日本チーム初となる銀メダル獲得に大きく貢献し、自らもベストウィングスパイカー賞(第2位)を獲得した。
2015年8月のワールドカップでは、サーブランキング2位だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%AB%E7%94%B0%E3%81%95%E3%81%8A%E3%82%8A
実姉がバレーボールをしていた影響で、鹿児島市立谷山小学校3年次からバレーボールを始める。厳しい中学時代を経て、県立鹿児島西高校へ進学する。中学高校では、センターエースとして活躍。高校3年次には晴れの国おかやま国体に、鹿児島県選抜の一員として出場。優勝した長崎県(九州文化学園高校)を準決勝であわやというところまで追い詰め、3位入賞に大いに貢献した。また同年12月の高校選抜男女東西対抗戦に出場した。
2006年の高校卒業後はオファーのあった東レアローズに入団。2008年6月開催のAVCアジアクラブ選手権において、ベストスコアラー賞を獲得した。
2010年4月、2009-10プレミアリーグよりレギュラーに定着し、同シーズンで初のサーブ賞とベスト6に選出された。また、2010日韓Vリーグトップマッチ、第59回黒鷲旗大会との3冠を果たした。2010年4月全日本代表登録メンバーとなり、同年開催のワールドグランプリ、世界選手権に出場した。
2011年8月のワールドグランプリにおいて11試合スタメン出場した。同年11月のワールドカップではスタメンの座を確保できず、思うような活躍が出来なかった。平成23年度全日本バレーボール選手権決勝戦においてはチーム総得点の約三分の一にあたる32得点を叩きだしチームを優勝に導く。
2012年3月、2011-12Vプレミアリーグで2季ぶりのリーグ制覇に貢献した。同年5月の世界最終予選のキューバ戦で途中出場ながらチーム最多の20得点をあげ、勝利に貢献し五輪出場権獲得した。同年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーに選出された。同年8月11日のロンドンオリンピック3位決定戦で、韓国との相性の良さをかわれ、先発出場。23得点と大活躍し、全日本28年ぶりのメダル獲得に大きく貢献した。当日はリザーブメンバーで家庭事情により急遽帰国した親友の石田瑞穂のユニフォーム(背番号No.13)を中に着て試合に臨んでいた。
2013年11月、右肩痛から復帰し、グラチャンバレーに出場。全日本の新戦術「MB1」により、ミドルブロッカーの対角で活躍。同大会のウィングスパイカー賞第1位になった。
Vプレミアリーグ2013/14シーズンにおいて、得点王(最多得点)となった。日本人プレーヤーが同タイトルを獲得するのは佐々木みき以来10シーズンぶりの快挙である。