果たして、自分はプロフェッショナルなのか、そして、プロフェッショナルだとすれば、なんのプロフェッショナルなのか、自問しちゃいました。ピカソの話と同様、考えさせられますね。
http://www.kkjin.co.jp/boso010_130928.htm
「金をほしうてやる仕事だが決していい仕事ではない。 ことに冬など川の中などでやる仕事は、泣くにも泣けぬつらいことがある。 子供は石工にしたくない。 しかし自分は生涯それでくらしたい。 田舎(いなか)をあるいていてなんでもない田の岸などに見事な石のつみ方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。 こんなところにこの石垣をついた石工(いしく)は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。 村の人以外には見てくれる人もいないのに・・・・・・」
「しかし石垣つみは仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。 二度とくずれないような……。 そしてそのことだけ考える。 つきあげてしまえばそれきりその土地とも縁はきれる。 が、いい仕事をしておくとたのしい。 あとから来たものが他の家の田の石垣をつくとき、やっぱり粗末(そまつ)なことはできないものである。 まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。 また親方(おやかた)どりの請負(うけおい)仕事なら経費(けいひ)の関係で手をぬくこともあるが、そんな工事をすると大雨の降ったときはくずれはせぬかと夜もねむれぬことがある。 やっぱりいい仕事をしておくのがいい。 おれのやった仕事が少々の水でくずれるものかという自信が、雨のふるときにはわいてくるものだ。 結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ」。