「親ペナルティ」を40歳で負う覚悟はあるか、って大きなお世話だし、全員にとってペナルティじゃないと思います。

子どもがいることによって自由が制限されるのは、その通りだと思いますが、それをペナルティと表現するのは、違和感があります。

不安を煽って、自分のビジネスにしているようで、気分が悪いです。

この河崎環って人、「女子の生き様は顔に出る」というタイトルの本を書いていることからも、目をひく言葉を使って、中身の薄さを隠しているように思いました。

 

だから初めて親ペナルティという言葉を目にした時、わが意を得たりと感じた。親になるとは、生き物を育てるということだ。でもペットを飼うのとは違い、人間一人育てるということには、社会的な意味や責任がもっともっと大きい。だからライザップじゃないが、どんな親だってそれぞれの姿勢やアプローチで結果にコミットする。コミットしていないわけがないじゃないか!

「子供に教えられる」とか、「子供の存在に支えられる」とか、「子供を育てるとは、自分を育てること」だとか……子育ては美しい話、いい話ばっかりじゃない。もちろんそれもあるし、大きい。子育てする親は自分にそう言い聞かせるものだけど、でもやっぱりそれだけじゃない。

「(自分だけではない、社会の準備不足もあって)思い通りにならない」が「自分には責任がある」、その焦燥が“ペナルティ”という感じ方になっても、私は責める気持ちには全くならないし、心底共感する。この、社会的風習やら画一的な良識やら「暗黙の了解」やら同調圧力やらであれこれがんじがらめの国では、親になることで幸福感が低減することは“当然”実際にあると思う。みんな「良識」が大好きだから、あまり大きな声でそう言う人はいないけれど、それが私の偽らざる感想だ。

http://president.jp/articles/-/23020