難治がんの記者が大事にするコラム執筆の3つの流儀、ちょっと意外で面白かったです。

難治がんの記者が大事にするコラム執筆の3つの流儀、ちょっと意外で面白かったです。

この記者は、高校のとき、他校なのに、なぜか私の学校の部活の合宿に来ていたので、印象に残っています。

そんな彼のコラムです。

https://dot.asahi.com/dot/2018122100075.html

書くときに私が何を頭に置いているのか。以下、3点挙げる。

■(1)書き出すときに着地点は気にしない

体力テストに「立ち幅跳び」という種目がある。両足をそろえて助走をつけずにぴょんと飛ぶ、あれがコラムへの私のイメージだ。

跳躍:どんなエピソードで切り出し読者を引きこむか
着地:どのように締め、読者に余韻を残すか

驚く方が多いだろうが、私は着地点を決めず、いきなりエピソードから書き出すことが多い。読者に知らせたいのが主張よりも最近のできごと、という場合が少なくないからだ。あとは走り幅跳び選手のようにあっちこっちの話題へと手足をばたつかせ、着地する。
読者にわかりにくいのは承知で一見関係なさそうな話をつなげ、最後の「。」にたどり着く。落語家がお客さんからお題を3つもらって一つにする三題ばなしのような「綱渡り」が楽しくて仕方ないのだ。
とはいえ、書き進んでも着地点が見いだせないと、パラシュートが開かないまま地面が近づいてくるように選択肢が狭まってくる。思ってもないことを「これが読者に伝えたいことです」とは書けないし、「書かずに死ねるか!」とタイトルでうたっておきながら「読者に伝えたいことは未定です」というのもどうか、という気がする。
当面、綱渡りの楽しみは封印だろうか。

■(2)文章には救いを

エピソードは読者に身近で、驚きのあるものが望ましい。「もう食事をできないなんて、大変だ」。そう読者が筆者と同じ視線に立ってくれれば、自分だったらどうするだろう、という関心で引っ張れるからだ。
しかし、私の日々は「容体急変」に「緊急入院」と落ち着かない。驚きばかり並べ立てていくと「えげつなさ比べ」になりかねない。そこで求められるのが「救い」だ。希望、バランス感覚と呼んでもいい。たとえば、参考例に挙げたコラムで、中盤以降でじょじょに希望がわいてくる作りにしたのもそれだ。

■(3)思うことを洗いざらい書き出しながら考える

たとえば1人の政治家がいま何を考えている(かつて考えていた)か、取り上げるとする。「ああでもない、こうでもない」と頭に浮かんだことを書くことではじめて気づく点もある。
瓶の栓が抜けたように一通り吐き出し、いったん着陸してしまえば作業は終わったようなもの。そう自分を励ましつつ、文章が一つのストーリーとして流れているか、見直していく。
書いて1、2日すると、まるで他人の文章のように映るから不思議だ。ダブりを削ったり、ストーリーを大改造したりと、大胆に手を入れていく。「例の先輩記者ならばかくや」と想像するほどだ。

私は、いつも着地点を気にしているので、びっくりしました。もっとも、気にしているからと言って、着地に成功しているわけではないですけど。

文章には救いをというのは、確かにその通りですね。私の場合、救いじゃなくて、なるべく、笑いをと思っています。これもスベることが多いですけど。

 

今度、本が出るそうです。