「ネット将棋」という中学の道徳の教科書に載っている文章が、リアルで意外に良かったです。

あるよね、と思えるシチュエーションです。

心の持ちようが、強くなるかなれないかの境目というよりも、負けを認めないことで、負けたという事実から目をそらすかどうかのほうが重要だと思います。

事実から目をそらして、勝ったつもりになっても、実力はついていないわけで悪循環です。

ふと、秀逸な小学生の作文を思い出しました。これもイイ話。

テーブルマークの将棋大会で、開会式で読まれた作品。 最初はなんで、こんなところで読むんだろうと、おもったけど、中身が良かったから許す。...


https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/doutoku/detail/1318785.htm

「うむむ、これは厳しいなぁ。」
僕と敏和との将棋を横で見ている拓也がつぶやく。
〈分かっているよ。僕の負けだと言いたいのだろ。早く投了しろってことか。そんなことが簡単にできるか。〉

春休みが明けて、久しぶりの学校だ。金曜日の昼休み、多目的室での将棋タイムは楽しみの一つで、腕前は僕よりは下だと思っていた敏和と、一戦交えていた。簡単に勝てると思っていたのに、僕の知っている敏和ではない。四十手ほどの指し手で、圧倒的に僕は不利な状況に追い詰められてしまった。
〈敏和のやつ、いつの間に強くなったんだ。こんな恥ずかしい負け方ができるものか。こうなれば、指し手を遅くして時間切れで逃げよう。〉

対局時計を使っての対戦ではないので、一手一手に考え込んでいるふりをして、徹底的に時間稼ぎをした。見ている和夫たちは退屈したのか、別の組の観戦に回った。
やっと昼休み終了のチャイムが鳴った。僕はいかにも残念そうに言った。
「いいところなのに、時間切れだな。とりあえず引き分けということにしとくか。」
敏和は嫌そうな顔もせず、手早く駒を片付けるのが、かえって癪しゃくにさわる。

教室への廊下を歩きながら、拓也が敏和に話し掛けた。
「敏和、どうした。ちょっとの間に強くなっているじゃないか。」
すると、敏和は笑いながら言った。
「実は、インターネット将棋を始めたんだ。そこで、定跡の勉強をしたり、対局を申し込んで実戦したりして。まだまだだけど、少しは強くなったかも。時間があったら、やってみて。いろんな道場があるから。」
〈敏和のやつ、そんなことをしていたのか。〉

聞き耳を立てていた僕は、さっそく試してみることにした。
帰宅して、飛びつくようにパソコンに向かった。幾つかのサイトに当たってみて、これならまあ勝てそうだと思った中学生に対戦を申し込んだ。「持ち時間二十分、切れたら一手三十秒」の条件で応じてくれた。
ところが、勝てるどころか、あっという間に僕の陣形は壊滅的な状態になった。これが同じ中学生の実力なのかと、情けなくなってきた。王将が詰むまでにはまだ手数はかかると思われたが、僕は完全に戦意を喪失して、これ以上やっても無駄だ、と感じた。ボロボロになった盤面を見ているのも嫌になり、僕は黙ってコンピュータ画面を閉じた。
〈どうせ顔が見えるわけでもなし、本名を名乗っているわけでもなし、相手だって本当に中学生かどうか怪しいものだ。みんなこんなものだろ。真面目にやっていられるか。〉

しかし、そうは言っても何とか勝ちたくて、土曜日と日曜日はネット上の対戦をあちこち見物し、弱そうな相手に見当をつけて勝負を申し込んだりした。そういう時は、勝つには勝つが面白くない。技量が上の相手には、やはり勝つことができず、面白くない。どっちにしても、いきなりログアウトしてやる。
〈敏和はネット将棋で強くなったと言っていたけど、本当だろうか……。〉

週明けの月曜日、僕の隣の席で、明子の元気がない。落ち込んでいます、という沈んだ空気が身体中から出ている。思わず声を掛けた。
「明子、どうした。相当へこんでいるな。」
すると、後ろの席から智子が言った。
「無理ないよ、昨日、ソフトボールの地区大会でヒロインになりそこねたもの。一点差で負けている七回裏、ツーアウトでランナー二・三塁、一打、逆転サヨナラの大チャンス。ここで打たなくてどうする。ところが、何とも情けない見逃しの三振、ゲームセット。これでへこまずにいられますかって。ヒロインじゃなくても、せめてデッドボールで塁に出たかったよ。最後のバッターにはなりたくないもん。『私のせいで負けました、ありがとうございました。』なんて絶対に嫌だから……。」
僕は内心、つぶやいた。
〈それは、そうだ。そんな気分の悪いこと、言えるか。〉
「なのに、監督は終わりの挨拶で、『明子は二重にいい体験をしたな。ラストバッターの経験に加え、悔しさ紛れに、心を忘れた挨拶しかできなかった自分というものを知ったことだ。目の前の相手にお礼を言うことすらできないようでは、決して強くはなれないぞ。』だって。訳が分からないね。」
間髪入れずに、
「私、今なら分かる気がする……。」
と、明子が言った。
そこへ、敏和も話に入ってきた。
「僕の好きな将棋では、誰もがいつも最後のバッターだよ。誰も代わってくれないし、それに『負けました。』って、自分で言わないと対局が終わらない。」
智子が驚いたように言う。
「それって、きついでしょ。」
「きつかったよ。特にネット将棋なんか、見えない相手に『お願いします。』で始まって、勝負がついたと思ったところで、自ら『負けました。』って言う。そして、終わりには『ありがとうございました。』と挨拶するんだけど、こういうのは、最初、実感がなかったなあ。でも、目には見えない相手とどう向き合うかで、自分が試されてる気がしてきて、きちんと挨拶できるようになったよ。」
静かに聞き入っている明子をよそに、智子は更に尋ねた。
「だからといって、強くなる訳じゃあないでしょ。」
「強くなるために、『負けました。』って言うのじゃないと思う。心から『負けました。』って言うことで、対局後の感想戦で検討される好手や悪手がスーッと頭に入ってきて、心にすみつく。それで、力が伸びていくのだと思う。初めての人とも仲良くなれるしね。だから、最後は『ありがとうございました。』って、本気で言えるんだ。」
智子は、敏和と明子を交互に見ている。自分に言い聞かせるように、明子が言った。
「まあ私も、試合の前と後で、『お願いします。』『ありがとうございました。』は言っているけど、そこまで考えたことはなかったなあ。敏和くんって大人なんだ……。そうか、『負けました。』と言える試合をすればいいんだ。」
「ほぉー。明子、深いこと言うなあ。それとも、負けた言い訳かい。」
敏和のツッコミに明子と智子は笑ったが、僕は笑えなかった。