- 2021/09/13
叡王戦。やっぱり、藤井聡太が三冠王になっちゃうのかな。時代の流れには逆らえないから。それにしても、消費時間の割に進行が遅い気が。
相当、長い時間、秒読みしないといけないので、大ポカの予感もしますね。 関連記……
テーブルマークの将棋大会で、開会式で読まれた作品。
最初はなんで、こんなところで読むんだろうと、おもったけど、中身が良かったから許す。
あまりも素敵なので、引用。
「負けました。」
私にとって、出来れば使いたくない言葉だ。なぜなら、この一言で勝敗が分かれてしまうからだ。
私は将棋をやっている。競技の勝敗の決め方は色々ある。ほとんどの場合は、得点、時間制限、しん判の判定で勝敗が決まるが、将棋はちがう。自分が負けたことを声に出して相手に伝えなければ終わらない。そのような競技は珍しいと思う。もし仮に、「負けました。」と言わずにだまっていたままでいたら、相手は、何分、何十分と待つことになってしまう。だから、悔しくても負けをしっかりと認めることが大切だ。
「負けました。」という言葉は不思議だと思う。自分が言わなければならない時は、言葉に出来ないほど悔しく、勇気がいる。相手が悪いわけではなく、自分の実力が足りなかったと思うと、とても心が苦しくなる。
だが、相手から「負けました。」と言われた時は、心がスカッとする気分になる。「やったー。」と叫びたくなるほど、うれしくなってしまう。
将棋を始めたばかりのころ、初めて千駄ヶ谷の将棋会館道場へ行った時のことだ。男女問わず様々な年れいの人が沢山いて、みんなが真けんに将棋を指していた。対局をして、勝つと手合いカードに白丸がもらえるが、十局指して私のカードは真っ黒だった。カードを見るたびに悲しくなった。
十一局目、私はうれしくなった。次の相手は私より弱く、明らかに勝てる相手だと思った。余裕で対局へいどんだ。
もちろん私がせめていて、勝つと思った。ところが、終ばんで大逆転されてしまったのだ。頭が真っ白になった。今まで十回も言ってきた言葉を、また言わなければならない。
「負けました。」
そのしゅん間に涙があふれてきた。この対局まで、何局もあっさり負けていた。だから、口先だけで心をこめず「負けました。」と言っていた。でも、この対局で初めて、「負けました。」という言葉の意味を考えた。この言葉には、「あなたは、強いですね。」と相手を認め、そん敬する意味があるのだ。
それからは、どんなにあっさり負けても、熱戦で負けても、心をこめたあいさつをするようになった。
それから三年たった今も、私は将棋を続けている。どこへ行っても、上には上がいて、これからも何回、何十回と負けを認めなければならないだろう。それでも、決して口先だけで、「負けました。」と言わずに、この言葉を大切にしたい。そしてもっと、将棋が強くなりたい。
https://info.yomiuri.co.jp/news/2433.html
悔しいと思うためには、本気で勝ちたい、勝つんだという気持ちが必要で、その気持ちに折り合いをつけて、負けました、というのが成長につながると思います。強くなろうとあらためて思う気持ちと、感情をコントロールするという意味で。
特に長男には将棋で感情をコントロールすることを学んで欲しいんですけどねぇ!
でも、ネットではいろいろ言う人がいるんですね。最初は、なにを言っているのかわかりませんでした。