なぜ、今さらながら取り上げられるのかはわかりませんが、河合塾でこの問題を見たときには、衝撃が走ったのを覚えています。

なぜ、今さらながら取り上げられるのかはわかりませんが、河合塾でこの問題を見たときには、衝撃が走ったのを覚えています。
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懐かしかったので、転記してみました。確か、桑山先生という名の講師が意気揚々と解説していたのを覚えています。

その解説は問題のインパクトからすると、普通でした。だって、「どのような関係に頼って」と問題文に明確に書いているから。

http://toyokeizai.net/articles/-/129160

次の文章は、数年前の東京大学入学試験における、日本史の設問の一部と、その際、受験生が書いた答案の一例である。当時、日本史を受験した多くのものが、これと同じような答案を提出したが、採点にあたっては、低い評点しか与えられなかった。なぜ低い評点しか与えられなかったかを考え、(その理由は書く必要がない)、設問に対する新しい解答を5行以内で記せ。(1983年度第1問)

【問】<※(ア(イ)(ウ)(エ)の4つの資料は省く>
藤原実頼・頼忠が朝廷の人々から軽視された事情と、藤原公実の要求が白河上皇に聞き入れられなかった事情とを手がかりにしながら、(ア)・(イ)のころの政治(筆者注:摂関政治に関する資料)と(ウ)のころの政治(筆者注:院政に関する資料)とでは、権力者はそれぞれ、どのような関係に頼って権力を維持していたかを考え、その相違を150字以内で述べよ。

<NG解答例>
(ア)・(イ)は、摂関時代のことを述べた文章で、この時代には、摂関家の推薦により高い地位とよい収入を得ようとした受領層の支持を受けて、摂関家が政治の権力を握った。(ウ)は、院政時代のことで、この時代には、権力者の上皇が下級貴族や武士を院の近臣として組織し、その力を背景にして権力を握っていた。