直木賞作家・重松清が語る。育児哲学よりも「思い出」が親を強くする、という内容に激しく同意です。

直木賞作家・重松清が語る。育児哲学よりも「思い出」が親を強くする、という内容に激しく同意です。
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「とんび」に感動したので、重松清でググってみたところ、教育に関する話が出てきていて、共感しました。

 

保育園の送り迎えのとき、娘が2歳の頃は、俺が指を1本出したら、それをギュッと掴んでいたんだけど、1年経つと指が2本になるのよ。娘の手が大きくなるにつれて、それが3本になり、4本になり……普通に手を繋げるようになっていく。そうやって成長していく実感みたいなものが、親として子育てをしている自分への支えになった気がするんだよね。

だから「高い高い」とか、「抱っこ」とかするのって、もちろん子どもが喜ぶからっていうのはあるけど、その重さで子どもの成長を実感しておくみたいなところもある。育児の哲学とか信念とかっていうものよりも、単純に粉ミルクを溶いて冷ますときの温かさだったりさ。そういうものって、意外と馬鹿にできないというのが、今振り返ってみて思うことかな。

俺の担当編集には、新米ママとか新米パパが多いんだけど、彼らにいつも言っているのは、「1歳までのあいだに子どもの足の裏をいっぱい触っておけよ」っていうことで。一度歩き出したら、子どもの足の裏ってどんどん硬くなるんだよ。やっぱりさ、子どもの成長って逆戻りできないわけだから、ハイハイのスピードはちゃんと自分の目で見て覚えておかないと、あとで見ようったって無理なんだから。もちろん、ビデオをまわして動画をたくさん残しておくことも大事だけど、それ以上に歩く前の柔らかい足の裏を触って覚えておくことが大事なんじゃないかって俺は思うんだよね。

「お前の足の裏は、こんなにふにゃふにゃだったんだぞ!」とかさ。その実感が、自分が親であることを後ろから支えてくれるわけで。こんな子どもに育てるんだとか、こんな親になるんだっていう気構えも大事だけど、それよりも指1本ぎゅーっと握られたときの感覚を持ち続けておいたほうが、子どもが育つ中でややこしくなったときに、踏ん張るための支えになるというかさ。そんな下支えになる子育ての記憶がたくさんあると、親として強くなれると思う。

 https://www.saison-chienowa.jp/articles/dkD7Ucs8

 

ちょっと長い引用になってしまいましたが、まさにその通りだと思いますね。

そういった意味だと、私の子育ての原点となる体験は、長女と長男のへその緒を切ったことかもしれませんね。ちょっとゴムみたいなへその緒を、何の変哲もないもないハサミで。人間の体の一部を切っているのに、こんなにぐにゃりとした感触なんだと驚きました。

長女のイチゴを食べたときの酸っぱい顔を見たさに、何個もあげたこととか、長男の「ねずみ」が言えずに「ねみず」というの聞きたくて何度も尋ねたことと、そういう思い出や、長女が散歩に行くと、途中で疲れて歩かなくなり、抱っこして帰ったときの手の痺れとか、長男とサッカーしていたときの息づかいとかがリアルな経験で自信につながるのでしょう。

そこには、精神論とかはないです。私はモンテッソーリの教育方法に賛同しているのですが、あくまでも、実体、リアルな体験があってだと思います。

もっと言うと、何をするわけでもないけれども、同じ空間にいるというだけでもいいのかもしれません。ということで、あと数年、転勤とかがないことを祈っています。