- 2016/08/19
吉田沙保里がテレビで、そんな必要はないのに申し訳なさそうに話している。アリスのチャンピオンが僕の頭の中で流れています。
吉田沙保里、お疲れさん、って感じですね。誰も、責めたりしないと思いますよ。 http://jpop.……
あまりにも素敵な文章だったので、転記しちゃいます。才能の差を感じさせる嬉しくも寂しいときですね。
「空と声と勝利と ~最後の運動会に寄せて~」
グラウンドに寝転がって、空を見るのが好きだ。はじめて気がつ
いたのはたぶん中2の時だったと思う。厳しい練習が終わって、ス トレッチをするときに、仰向けになったら、空が見えた。360度 、覆いかぶさってくるような、端の見えない、空。吸い込まれそう で、そして、ときどき、自分がどこにいるのかわからなくなるよう な感覚におそわれながら、チーフの声が響くまでの、短い永遠だっ た。
運動部に入らなかったから、グラウンドで寝転がるなんて、こんなときだけだったから、4月にこの空を見るたびに、しばらく忘れ かけていた運動会の気持ちを思い出した。 応援のときはいつも一番前だった。正直なところ、はじめは高3
にいいところを見せたかっただけだったと思う。でもそのうちに「 オー」という声が背中を押すような、駆け抜けていくような感覚が 好きになって、何回かに1回ある、みんなの声がぴったりあった最 高の「オー」を聞くのが楽しかった。
声出しは今でもいつも一番内側。全員の声が一つになって地面ではねかえって、血を騒がせる。閉会式のエールの終わりの「フレー フレー」では、自分たちの声が遠くまで広がっていく、音にならな い響きが聞こえるような静けさ。
運動会に魅せられていく歴史は、同時に、声の力に魅せられていく歴史でもあった。 中1の顔合わせでいきなり怒鳴られてからずっと、運動会の全部
が好きだ。理不尽な顔合わせも、メガホンで怒鳴られる応援も。で も、それが嫌いな人もいる。僕らがどんな運動会を作り上げたって 、全員が納得のできる運動会はおそらくできないだろう。それでも 、運動会は、好きとか嫌いとか、そういった価値観の違いを超えて 共有できる素直な感動のかけらがたくさんちりばめられた、開成の 宝物だと思う。その感動の一つ一つを下級生に伝えていくことが、 この素晴らしい運動会をずっと残していくために、僕たちができる こと。 そして、運動会が好きだった僕は、知らぬ間に、運動会を愛すよ
うになっていた。 高2になって、はじめて運動会についてみんなで議論する場を経
験して、僕と同じくらい、僕と違うやり方で、僕よりも真剣に運動 会を愛している人たちがいることを知って、驚き、嬉しかったし、 少し悔しかった。運動会を愛しているなんて簡単に口にしてはいけ ないのかもしれない。僕は運動会に恋をした。そして、運動会のた めに、真剣に考え、すべてを尽くして、運動会を愛せるようになり たい。 でも、僕はまだ、運動会最高の感動を知らない。
はじめて勝ったのは、中2の1回戦。実対、本番合わせて7回目ではじめてだった。勝てなくても運動会が好きだったけれど、勝っ て、もっと好きになった。勝つことがすべてではないけれど、勝ち たいと思って、勝ちにこだわって、勝って、はじめて知る世界があ った。
去年の高3棒倒しの決勝、そのはりつめた空気に、桟敷で体の震えがとまらなかった。あのしびれるような時間の中で、棒倒しをし たい。今でも、決勝の舞台の中にいる、その自分の姿を思い浮かべ るだけで、体じゅうを血がさわぎ、歓びが抑えきれない。
そして、優勝した黄組が桟敷の前を通り過ぎるとき、気がつくと「おめでとう」とつぶやいていた。こんなに素直に人を祝福できる のははじめてだった。あのときグラウンド中が彼らと歓びを共にし ていた。すべては、あの瞬間のために、ある。 1つ嘘を書いた。1回だけ、練習でないときに、あの、空を見た
。去年の緑戦で、KOされたあと、何もできなかった自分を悔やみ 、立ち上がることができずにいたときに、空は、かたくて、遠ざか っていくようだった。自分のふがいなさを見せつけられているよう で、逃げるようにして立ち上がった。
もうあんな空は見たくない。
優勝しよう運動会に捧げられたすべての
情熱に敬意を表して