カテゴリー: 育児

育児は育自です。でも、わかっちゃいるけれども、なかなか自制心をもって、子どもたちに接することは難しいです。等身大の子育てを赤裸々につぶやいています。

  • 長女が弟に対して、「自分を好きになる本」を読んであげていたのに、感動しました。

    長女が弟に対して、「自分を好きになる本」を読んであげていたのに、感動しました。

    長男が、生まれてきたくなんてなかった的な捨て台詞を吐いたので、わざわざ読んであげていました。

    長男の心には現時点では届かなかったかと思いますが、いずれ届くと思います。

    幼稚園の頃、弟の悪口を言われると泣いていた、弟思いの長女の優しさに乾杯ですね。

    本自体も、短くまとまっていて、素敵な本でした。

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    だいじょうぶ。
    きっとうまくいく。

    自分を好きになることは、大人にとっても、子どもにとっても、むずかしいことです。
    ほめられることよりも、しかられることのほうが多い毎日。
    私たちは自信を失い、無力感に襲われます。
    でも、誰にだって、自分だけの輝きがあるのです。その輝きを見つけてください。

  • 取っ組み合いの喧嘩をしていたかと思えば仲良くみている。これはiPadの力か、それとも、Youtubeの力か。

    取っ組み合いの喧嘩をしていたかと思えば仲良くみている。これはiPadの力か、それとも、Youtubeの力か。

    いずれにしても効果抜群。真剣なまなざしで、食い入るように観ている長女と長男。さっきまでの修羅場が嘘のよう。

    が、教育上、どこまで認めるかというのは、難しい問題です。

    みんな、どうしているんだろう?

  • 長女が「電池が切れるまで」という本を借りてくれというので調べたら、いい詩でした。

    長女が「電池が切れるまで」という本を借りてくれというので調べたら、いい詩でした。

    闘病記には弱いんですよね。自分がその立場になったら、と感情移入がしやすいから。

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    命はとても大切だ

    人間が生きていくための電池みたいだ

    でも電池はいつか切れる

    命もいつかはなくなる

    電池はすぐにとりかえられるけど

    命はそう簡単にはとりかえられない

    何年も何年も

    月日がたってやっと

    神様からあたえられるものだ

    命がないと人間は生きられない

    でも

    「命なんかいらない。」

    と言って

    命をむだにする人もいる

    まだたくさん命がつかえるのに

    そんな人を見ると悲しくなる

    命は休むことなく働いているのに

    だから 私は命が疲れたと言うまで

    せいいっぱい生きよう

     

     

    小学校4年生の宮越由貴奈さんの書いた詩ですが、お母さんの文章は、もっといいです。

    由貴奈、お父さんとお母さんを選んで生まれてきてくれてありがとう。

    人は皆それぞれ、使命や目的を持って生まれて来るんだって。特に由貴奈のように幼くして亡くなる子は、両親の成長を早めるために、短い人生を承知で生まれてくるのだということを聞きました。なるほど、これは経験したものでなければ味わえない大変な心の葛藤です。

    我が子の大変な病気と闘う姿を見せられ、そして亡くなってしまう、これほどの悲しみ苦しみはないぞと思いました。でも由貴奈はお母さんに、いえ多くの人たちにいろいろなすばらしいことを残してくれました。なんてちよっと大げさでしょうか。親ばかのお母さんです。

    やっとこんなかっこいいこと言えるようになったけど、由貴奈を失ってからは後悔ばかりしていました。治療の度に先生が治療方法の最終段階では親に選択させていたのです。あの時本当にあれで良かったのかから始まり由貴奈にとった態度はあれで良かったのか、病院にいるときもっと一緒にいてあげれば良かったとかきりがないのです。そんなことを思いながら車で一人になると涙が止まらなくて・・・。

    でもね、考えたら人の人生と比べたら長さは短かったけど普通の一生を濃縮したかなって思えるんです。あれだけ多くの人と知り合って多くのことを経験し、命の尊さをもうんと身近に感じていただろうし、それでまるでその勉強の成果みたいにあの「命」という詩を作っちゃうし、ほんとうによくやったね、よく頑張ったね、由貴奈いろいろありがとう。

    最後に病気から守ってあげられなくて本当に・ご・め・ん。 おかあさんより

  • 市川豊玉のお雛様を出しました。いつ見てもいい。

    市川豊玉のお雛様を出しました。いつ見てもいい。

    P4長女も気に入っているので、買って良かったです。それまでは、妻の「おさがり」でちょっぴり気の毒だったので。

     

  • 妻と長女からのバレンタインデー。いつまでくれるのでしょうかね。

    妻と長女からのバレンタインデー。いつまでくれるのでしょうかね。

    P9見た目はいまいちですが、とても美味しくできていました。

     

  • ちょっと、どうかなと思ったけど、中身を読み直して使うことにしました。

    ちょっと、どうかなと思ったけど、中身を読み直して使うことにしました。

    イメージしたものと違って、がっかりしていたのですが、計画を立てる練習ということを考えれば、これもアリだなと思い直しました。

    長女の勉強はいかに効率的に、いかに戦略的にやるかが重要ですから、使ってみることにします。著者の佐々木かをりさんが、自分の子供に使っていたというのも、期待できます。

    ただ、7週間しかないので、継続して買う場合には、説明の部分が余計なので、説明なしの14週間分にして欲しいですね。やっぱり、割高な印象です。

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  • 今ここにあるフツーが、本当は大切なものなのかもしれません。空気みたいに。

    今ここにあるフツーが、本当は大切なものなのかもしれません。空気みたいに。

    子供たちと、たたいてかぶってジャンケンポンをしていて、最近、読んだ闘病記ブログを思い出しました。

    死んでいく人にとっては、日常で満足なんだけど、生き残る人には、支えとなる良き思い出が必要だというようなことが書いてあります。

    http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1834128/1843318/87087505

    こんな病気ですので、どこかに遊びに行くにしても、息子とボールを蹴るにしても、友人と会うにしても、何かを食べるにしても、これが最後かもしれないという思いが頭の片隅にいつもありました。

    しかし、これが最後かもしれないから心残りの無いようにと考えると、涙ばかり出てきてちっとも効率が上がらないので、頭の片隅だけに留めるようにしています。そうすると、結局いつもと変わらずに食べたり話したりボールを蹴ったりして、特別なこともなく終了します。以前よりもちょっとその時間に対する集中力が高いのが、違いといえば違いです。

    考えるに、これが最後だからといって特別なことをする理由は、死んでいく側からすればあまりありません。いつものように食べたり話したり遊んだりした記憶こそが大事な思い出なのであって、いつも通りの最終回でかまわないのです。

    しかし、残されて生き続ける側はちょっと違います。生き続けるには特別な思い出が必要です。家族や近しい友人にとって、故人との最後の思い出が、特別で楽しい心残りないものであったか、何だかわからないうちに終わった普通のものであったかは大きな違いです。その思い出とともにこの先何十年も生き続けないといけないのですから。

    というわけで、自分自身のためには「普通の日常生活(もしくは極力それに近いもの)」をたんたんと、かつできる限り積み重ねていく一方で、家族や友人、特に息子達と家内には、少しでもその後の人生の糧となるような特別な思い出を多く作ってあげたいです。体が満足に動かなくなった今、水族館やサッカー観戦に連れていってあげるという息子達との約束すらかなえてあげられなくなってしまいましたので、何が出来るかは考えないといけません。

    こう書くと、死を前にしてなお家族を思いやるりっぱな人のように見えるかもしれませんので断っておきますが、そんなことはないのです。私はいままで、人に「すごいね」「えらいね」「ありがとう」と褒めたり感謝されたりすることで、自分の満足を得ることを目的として生きてきたように思います。言ってしまえば称賛や感謝を受けて自己満足することが生き甲斐なのです。

    家族に思い出を作ってやりたいのも、家族から「ありがとう」と感謝されたり、「頑張ったね」と褒められたりしたいからなのです。そうして自己満足を得て、「俺はよくやった」と思えればそれでいいのです。

    ブログへのコメントに冷静でしっかりしていると書かれることがありますが、たぶん愚痴や怒りが書かれていないからそういう印象になるのでしょう。そう心掛けて書いていたわけではないので自分なりに分析してみると、これも私が鉄の意思を持つからではなく、ブログを読んだ人に「役に立った」「すごい」と感心してもらいたいためなんだと思います。愚痴や怒りが書かれていても、読む方にはたいした役にはたちませんし、感謝もされません。無意識のうちに役に立ちそうな情報に絞るうちに、愚痴や怒りが削ぎ落とされているんだ、というのが自己分析の結論です。

    父親の闘病生活のことを思い出しました。

    私は、父の体の動くうちに、自分が建てた家を見に来てもらって、何だかんだ言っても、それなりに立派に育った、と思って欲しかったし、最後に子供の頃のように将棋を1局指したかったという希望がありました。どこか近場に旅行でも行きたかったという気持ちもありました。

    が、父はそんなに積極的ではなく、ただ実家にいることを望んでいて、特に何もすることなく、他界しました。

    実はちょっぴりと後悔していたのですが、このブログで、私の感情は生きている者のエゴに近いものだったとわかって、ちょっとすっきりしました。考えてみれば、そんなもんですよね。

    長女で印象深いのは、3歳の頃、妻と私が起きて、部屋に誰もいなくなってから、目を覚ますと、寂しがりやなので、すごい勢いで走って起きてくるときの、あの鬼気せまる顔だったりしますし、長男も3歳の頃、気に入らないことがあると、上目遣いで睨むブサイクな顔だったりします。そう、本当に日常的なことなんですよね。

    完全に話がそれましたが、この瞬間瞬間の日常を満喫するということが、とても大切だなぁ、と改めて感じた次第です。

    参考までに引用したブログの著者は、2ヶ月も経たずに亡くなってしまっております。家族が元気だといいですね。

  • 叩いてかぶって、ジャンケンポンを子供たちとやって盛り上がる。

    叩いてかぶって、ジャンケンポンを子供たちとやって盛り上がる。

    長男の私の頭をたたいたときの得意げで嬉しそうな顔ったらありません。長女もいつまで一緒にお風呂を入るのか微妙な年頃になりましたが、盛り上がっています。

    何の変哲もない、だけど、そう長くは続かない日常そのままを満喫しております。子育てなんてそんなもんかもしれませんね。

  • 子供たちと将棋。手を抜いているんだけど、どうやっても勝っちゃう。

    子供たちと将棋。手を抜いているんだけど、どうやっても勝っちゃう。

    P3

    結局、勝っちゃうので、負けず嫌いの2人は大変。負けようと思うけど、王手を見逃すなどのことをしないと、なんとなく勝っちゃう。2人とも大局観がないのが致命的。王様を取りにいって欲しいのに、反対方向にと金を動かしたり、もう終盤戦なのに、自陣から銀がじわじわ出てきたりでなかなか難しいです。

    それでも、男だからか、理系脳だからかわからないけど、長女よりは長男のほうが強く、ここでも負けず嫌いのバトルが発生し、大変。

    強くなるためには、終盤力が重要ですね。1手詰めの詰将棋かな。

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  • 長男がジクソーパズルの敏感期、ふたたび。折角だから、少しレベルアップするかな。

    長男がジクソーパズルの敏感期、ふたたび。折角だから、少しレベルアップするかな。

    難しすぎて、挫折しないものを探すのが大変。恐竜好きなので、恐竜のものにしようと思っています。

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    ポストカードサイズだから、ちょっと小さくて難しいのだろうか。以下はもともと、持っていた公文のもの。

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  • インドア派の子供たちとかまくら作り。暑い。しかも、超不恰好。

    インドア派の子供たちとかまくら作り。暑い。しかも、超不恰好。

    P9都知事選の影響で、家の前の道をいろいろな人が通るので、汗をかきながら作っている私はちょっと変な人。

    結局、最後は長女と長男で喧嘩。家の外なのに、大泣き。

    かまくら自体は、何の計画もなしに作り始めたら、ガリバートンネルのようになっちゃいました。でも、光に向かって、歩いていけば、別世界に行けるかも?

    大人がかかわっているとは思えない出来栄えですが、家でぬくぬくしていた妻に、不恰好さを指摘され、ちょっと腹立たしい。