長女が「電池が切れるまで」という本を借りてくれというので調べたら、いい詩でした。

長女が「電池が切れるまで」という本を借りてくれというので調べたら、いい詩でした。

闘病記には弱いんですよね。自分がその立場になったら、と感情移入がしやすいから。

命はとても大切だ

人間が生きていくための電池みたいだ

でも電池はいつか切れる

命もいつかはなくなる

電池はすぐにとりかえられるけど

命はそう簡単にはとりかえられない

何年も何年も

月日がたってやっと

神様からあたえられるものだ

命がないと人間は生きられない

でも

「命なんかいらない。」

と言って

命をむだにする人もいる

まだたくさん命がつかえるのに

そんな人を見ると悲しくなる

命は休むことなく働いているのに

だから 私は命が疲れたと言うまで

せいいっぱい生きよう

 

 

小学校4年生の宮越由貴奈さんの書いた詩ですが、お母さんの文章は、もっといいです。

由貴奈、お父さんとお母さんを選んで生まれてきてくれてありがとう。

人は皆それぞれ、使命や目的を持って生まれて来るんだって。特に由貴奈のように幼くして亡くなる子は、両親の成長を早めるために、短い人生を承知で生まれてくるのだということを聞きました。なるほど、これは経験したものでなければ味わえない大変な心の葛藤です。

我が子の大変な病気と闘う姿を見せられ、そして亡くなってしまう、これほどの悲しみ苦しみはないぞと思いました。でも由貴奈はお母さんに、いえ多くの人たちにいろいろなすばらしいことを残してくれました。なんてちよっと大げさでしょうか。親ばかのお母さんです。

やっとこんなかっこいいこと言えるようになったけど、由貴奈を失ってからは後悔ばかりしていました。治療の度に先生が治療方法の最終段階では親に選択させていたのです。あの時本当にあれで良かったのかから始まり由貴奈にとった態度はあれで良かったのか、病院にいるときもっと一緒にいてあげれば良かったとかきりがないのです。そんなことを思いながら車で一人になると涙が止まらなくて・・・。

でもね、考えたら人の人生と比べたら長さは短かったけど普通の一生を濃縮したかなって思えるんです。あれだけ多くの人と知り合って多くのことを経験し、命の尊さをもうんと身近に感じていただろうし、それでまるでその勉強の成果みたいにあの「命」という詩を作っちゃうし、ほんとうによくやったね、よく頑張ったね、由貴奈いろいろありがとう。

最後に病気から守ってあげられなくて本当に・ご・め・ん。 おかあさんより