こんなことが起きていたんですね。
2006年11月、女流棋士会が日本将棋連盟から独立する動きが報じられた。女流棋士は対局料などの面で棋士と格差があること、棋戦を自ら運営できないこと、連盟の意思決定に参画できないこと、などの点で待遇改善を求める声があった。また、将棋連盟としては引き止めるどころかむしろ、独立を促すような言動があったとされている。女流棋士会側ではこれ以前から制度委員会を発足させており、独立も視野に入れて体制改革への意見集約が進められていた。
同年12月1日、女流棋士会は臨時総会を開き、独立に向けた新法人設立のための設立準備委員会の設置を賛成多数で可決した。しかし、「これで独立が決まった」と解釈する者と「単に設立準備委員会の設置のみが決まった」と解釈する者とがいた。独立に至る過程で、準備委員会と連盟理事会との間の交渉が難航し、また、女流棋士の中の意見も一つにまとまらなかったため、結果的に56名(引退女流棋士を含む)中39名の女流棋士が残留を表明し、女流棋士会は分裂することとなった。2007年4月24日に、連盟の米長邦雄会長、西村一義専務理事、田中寅彦常務理事から正式な説明と発表がなされ、5月30日には、連盟への残留を希望しない女流棋士17名によって、有限責任中間法人「日本女子プロ将棋協会(LPSA)」が設立された(2013年現在は公益社団法人)。
2012年時点では「マイナビ女子オープン」と「女流王位戦」の主催者にLPSAが加わっていた。
2009年4月1日、日本将棋連盟が、棋士・女流棋士の両方を含む新たな棋士会を創設したのに伴い女流棋士会は連盟棋士会の中の組織とされ、女流棋士会の役員会は発展的に解消された。
2009年6月15日、北尾まどかがLPSAから退会し、「フリーの女流棋士」、日本将棋連盟の「客員女流棋士」を経て、2011年4月1日付で連盟に復帰した。「客員女流棋士」は、2014年現在北尾が唯一の事例である。
女流棋士もアイドルっぽい時代だったんですね。雑誌とかに写真を載せていました。今では考えられないかも。
林葉直子とかも、懐かしいです。