- 2020/11/22
あーあ、巨人、負けちゃいましたね。今日、負けたら、2年連続で4連敗が見えて来ちゃいます。
千賀は球が前に飛ばずに、全く打てそうな感じがしなかったのに対して、菅野はいつ打たれてもおかしくないと……
現役の選手を聖火ランナーにするのはどうか、競技に集中させるべき、という論点はさておき、大坂なおみが聖火ランナーの最後を飾るのに相応しいかという話に集中します。
まず、日本国籍を持っており、日本人としてオリンピックにも出場できるのだから、日本人でしょう。そこは間違いないです。
で、次に、日本人として、聖火ランナーのラストを任されて、日本国民が納得するか、という点については、納得しない人が多いんじゃないでしょうか。だって、日本に住んでいたこともほとんどないし、日本語を話すのもできないわけだから、「ああ、私たちの大坂なおみが出てくるとグッとくるわぁ」みたいにはなりにくいですよね。アスリートとして、素晴らしいこととは別次元の話として。
大坂なおみは、どちらかと言うと、アメリカ社会におけるマイノリティの象徴であって、日本社会においては、社会に参加すらしていないので、マイノリティ以前の存在だと思います。
八村塁とか、ウルフアロンとか、もっと言うと、在日韓国人の選手とかは、日本社会の中でマイノリティとして、つらい思いもしてきたんじゃないかと思います。どうしても、多様性、マイノリティを前面に出したいなら、そういう選手のほうが良かったです。
(もっとも、多くの人が言うように、現役選手じゃなくて、レジェンドや、医療従事者、復興関係者にするのほうがスマートだったとは個人的に思いますが・・・)
状況は少し違うものの、例えば、猫ひろしがカンボジアで、マラソンの代表になったけれど、それは、カンボジア人ではあるけども、プノンペンオリンピックで最終ランナーに選ばれると、さすがにカンボジア国民の納得感は薄いと思います。
ただ、プノンペンオリンピック開催時には、IOCと同じように日本政府も、猫ひろしを聖火ランナーにという圧力をかけるのかもしれません。が、それを断るのが開催地として矜持みたいなもんだと思います。
話を大坂なおみに戻すと、大坂なおみはマイノリティの象徴だとしても、メディアから受け取られる彼女の印象は、あまり人間的にいいイメージもないです。ラケット破壊行動や、会見のボイコット騒動などがありますし。後者については、「鬱」で解決しようとしましたが、勝ったときは普通に対応しているように見えるので、都合よく病気を使っているように感じてしまいます。
まあ、私が大坂なおみギライなせいかもしれませんが、こんなふうに思います。
記事を執筆したのは、オーストラリアのスポーツジャーナリスト、ウィル・スワントン氏。同国の優れたスポーツ報道を表彰する「SportAustralia MediaAwards」を7回受賞した経歴を持つ。
記事のタイトルは『How Japanese is Naomi Osaka?』(大坂なおみは日本人なのか?)。スワントン氏はまず、1964年の東京オリンピックの最終聖火ランナーに選ばれた、陸上選手・坂井義則氏について触れる。
「オリンピックの火を灯したのは、広島が核爆弾で破壊された日に生まれた一人の男だった。彼は、第二次世界大戦の灰の中から日本が立ち上がったことを示すために、無名の人の中から選ばれた日本人紳士だった」(日本語訳、以下同)
スワントン氏は坂井氏の起用について「クラブレベルのランナーで、本物のオリンピック選手の足元にも及ばなかったが、それは関係ない。炎はスポーツを超えている」とする。
スワントン氏はここから、今回の大坂選手の最終聖火ランナー起用は「不適任」だった、との論を展開する。
「下品に聞こえるかもしれないが、彼女はちょっとした吹き溜まりだ。彼女はフロリダからここ(日本)に飛んできて出場した。もっと良い候補者がここ(日本)で育ったのだ」
「大坂は1997年、大阪の中央区で生まれた。母親の環さんは日本人。父はハイチ人である。大坂が3歳のとき、一家はアメリカのニューヨーク州ロングアイランドに移り住んだ。それ以来、大坂はずっとアメリカにいる。もしこれがステート・オブ・オリジン(オーストラリアのラグビー・オールスター戦)の資格規定であれば、彼女は今大会でアメリカのジャージを着ているはずだ」
スワントン氏は「彼女は日本の伝統を誇りに思っている」としつつ、「日本の一般の人々からは、彼女との深いつながりは感じられない」「何か気まずい感じがする」などと意見。「彼女にライターを渡したのは間違いだったと思う」と主張した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/db91a486c61aaaa436fb15023fe5d52c7611a800