さすが、プロですね。
[sitecard subtitle=関連記事 url=http://konchan.net/x/archives/54136 target=]
映画や本、ときおり、テレビドラマのレビューを載せています。かなり偏っているので、真面目な方は読まないほうがいいかもしれません。

さすが、プロですね。
[sitecard subtitle=関連記事 url=http://konchan.net/x/archives/54136 target=]

奇跡が起きるわけでもなく、主人公たちの悲しい別れを演出して号泣させるわけでもなく、でも、死の恐怖と向き合っていくストーリーが、すごく良かったです。
リアルさが伝わってきて、逆に、深く感動しました。
数万人に一人という不治の病で余命が10年であることを知った二十歳の茉莉。彼女は生きることに執着しないよう、恋だけはしないと心に決めて生きていた。そんなとき、同窓会で再会したのは、かつて同級生だった和人。別々の人生を歩んでいた二人は、この出会いをきっかけに急接近することにーーもう会ってはいけないと思いながら、自らが病に侵されていることを隠して、どこにでもいる男女のように和人と楽しい時を重ねてしまう茉莉。ーー「これ以上カズくんといたら、死ぬのが怖くなる」。思い出の数が増えるたびに失われていく残された時間。二人が最後に選んだ道とは……?

まず、何よりも、文章が読みやすかったのが良かったです。どんなに素晴らしいことを書いていても、読みにくいと寝落ちして最後まで読めなくなっちゃうので、それだけでありがたいです。文章が下手くそな人には、AIで添削することを義務付けて欲しいぐらい。
で、本題です。
たかが学歴、されど学歴
学歴を獲得するために、というよりも、偏差値を2から3上げるために、塾に通うなど課金して、生涯年収にどれだけ影響を与えるかという話は面白かったですね。まあ、経済合理性のある金額感で良かったです。その中でも、医者だけは別格にコスパが良いみたいな言い方でしたけど、医者の激務っぷりだったり、医療過誤等のリスクだったりを考えると、そこまで、とは思えませんでした。
国立と私立、特に文系のおける違いはその通りだと思いました。受験教科の数により、合格のための戦略が変わってくるのもその通りです。数学が得意な文系だった私は、完全な国立タイプで、なぜか私立文系なのに数学で受験できるところを狙い撃ちして受けた記憶があります。
日本の高校までの教育レベルは高い
日本の教育はコスパが良いというのは、高校までは全くその通りだと思っていて、底辺を含めて、公教育でここまでやってくれている国はそんなにないんじゃないかと思っていたので、納得感がありました。そして、その理由の1つに、中学も高校も進学実績という形で競い合っているので、どんどん良くなっているという話は目からウロコですね。
大学はその点、競争に晒されていないので、レベルが低いということになるわけですが、あまり、手間のかかる課題とかをやらないと卒業できないということはない緩さなので、逆に、自分のやりたい勉強をじっくりできるというメリットもあるということでした。そんなものかなぁ。
中学受験はダービースタリオンだ
これは完全に同意。中学受験、特に、その中でも算数は「中学受験算数」という特殊分野だと思います。IQを測定するパズルみたいなもんかもしれません。得意な子どもはいいけど、苦手は子どもには地獄でしょうね。中学受験をさせるかどうか、考えるときは、「中学受験算数」の資質があるかどうかを考えて、ここに難があればやめたほうがいい気がします。この「中学受験算数」が後の人生の中で、出てくるのは、大学生のときの塾の講師のバイトか、就職活動時のSPIなどの適性検査のときぐらいですから。
格安の公立中学からの高校受験ルートで学歴獲得競争に勝つ
大昔からの持論ですが、首都圏においての入学試験の難しさは、「中学受験>大学受験>高校受験」だと思っていて、特に、高校受験は、中学受験の合格者たちが軒並みいなくなっている、低めの母集団で戦うので、他と比べて、非常に緩いと思っています。だから、高校受験は狙いめ。つまり、中学受験では、本当に通わせたいと思う学校でなければ、受かっても通わせないという選択肢が正しいんじゃないかと思っています。高校受験で再チャレンジすればいいわけですから。
とはいえ、我が子が、全落ちして、どこも行くところがないとかなったら、パニックなって、どこか今から出願できる学校を探したりしますよね。それが、親心。でも、そこは、冷静に次のチャンスに賭けたほうが良い気がします。
日本の教育に足りないものを家庭で補う
これは英語のことですね。英語教育、とっても大事だと思うし、私の英語力のなさが、年収が伸び悩んでいる原因の1つであるというのは否めません。だから、子どもたちには、英語は大切だと言っているのですが、なかなかピンと来ていないようです。いや、ピンと来ているけど、行動に移せないのかな。それとも、オヤジの言うことに説得力がないか・・・
ただ、私が思うのは、英語力も大事だけど、母国語力がもっと大切な気がしています。人間の思考は言葉を用いて行われるので、この母国語があやふやだと、深い思考ができないと思っています。なので、英語を学ばせることも大切なんだけど、それは、母国語の教育により力を入れるか、もはや、母国語を英語のしちゃうというのが良いと思います。英語が母国語だと、もはや日本人ではないですけどね。日本国籍を持ったグローバル人です。
などなど、いろいろと考えさせられる本でした。繰り返すと、文章が読みやすいのが素敵でした。
子供の教育には多大な費用と時間を割かねばならない。家庭の限られたリソースを使って、いかに効果的に果実を得るか。中学受験と高校受験ではどちらがコストパフォーマンスがいいのか。身も蓋もないが、子供にはできれば一流大学を卒業し、高い年収を得られるやりがいのある仕事に就いてほしい。そんな親心に応えるべく、膨大なリサーチと実体験をもとに、子供が現代の学歴獲得競争で勝ち抜くための戦略を論じる。
参考までに、10年前に書いた、中高一貫校を選ぶ基準は「余力のない学校には行かせない」「選択肢の狭める学校には行かせない」「人数の少ない学校には行かせない」でした。
[sitecard subtitle=関連記事 url=http://konchan.net/x/archives/6756 target=]
今となっても、そんなに変わっていません。もう使う機会はないですけど。

いじめが陰湿というか、単なるストレス解消でしかないということと、制服が個性のかけらもなく、カルト集団みたいな恐ろしさがあり、目を背けながらも見入ってしまいます。
不良少年と主人公の恋みたいなのは、現実離れしていて、感情移入しにくいのですが、それでも、いじめっ子たちが憎たらしいので、肩入れして見ていました。
それなのに、最後の終わり方は、ちょっと残念でした。結果も残念でしたし、2人のやりとりが茶番感がたっぷり出てきたからです。
せっかくイイ感じだったのに、着地に失敗したという印象です。もったいない。
あと、もう少し、テンポが速いほうが良かったと思います。最初から、最後までスローだったので、せめて、最後は臨場感をもっと出して欲しかったですね。
進学校に通う成績優秀な高校3年生のチェン・ニェン。全国統一大学入試を控え殺伐とする校内で、ひたすら参考書に向かい息を潜め卒業までの日々をやり過ごしていた。ある日、下校途中の彼女は集団暴行を受けている少年を目撃し、とっさの判断で彼シャオベイを窮地から救う。辛く孤独な日々を送る優等生の少女と、ストリートに生きるしかなかった不良少年。二人の孤独な魂は、いつしか互いに引き合ってゆくのだが・・・。

片平なぎさじゃないとすると、誰が?
井川遥はさすがにないだろうから、あるとしたら、植物が好きな秘書なの?
だったら、すごすぎる。誰もわからない。最後はお互いにお互いの罪を告白するみたいな世界観。
[sitecard subtitle=関連記事 url=http://konchan.net/x/archives/54089 target=]

まあ、楽しみ。
忍者は、もう少し、お互いが伊賀と甲賀であることを知らない期間を伸ばしたほうが良かった気がします。なんとなく、議員を殺した犯人にガッカリしそうなんですよね。そんなオチなの、みたいな。
100万回も、少し種明かしが早すぎる気がします。もしかしたら、食堂やっている人が黒幕だったりしたら盛り上がります。あと、インパルスの幽霊とかも、実は、この事件に絡んでいて、いい感じに伏線を回収してたら、大化けしますね。
[sitecard subtitle=関連記事 url=http://konchan.net/x/archives/53618 target=]

でも、アルコールじゃなくて、ヤクだから反則ですけどね。
大笑いなんだけど、ついつい、ホテルのスイートをこんなにしてしまって、いくら払うんだろうとか、そういうところだけ、ちょいちょい、現実的なことが気になります。
マイク・タイソンが出てきたのはビビったけれども、話題作りのために、わざわざ出演させなくても良かったと思います。ちょっとシーンが浮いていた気がしました。
人生最高の夜を楽しんだはずの男たち。待っていたのは史上最悪の二日酔い!?

いま、終わっても、いい人生だったと思えるんだけど、それでも、やっぱり、まだまだ生き続けたいなぁ、なんて思いながら見ていました。
水に沈みかけた街で孤独に暮らす老人。彼の家は水面が上昇する度に上へ上へと、積み木を重ねるように伸びていく。彼はなぜひとりで暮らしているのか、徐々に解き明かされる物語。数々の賞に輝く、淡く切ない物語です。

簡単に言うと、目標を定量化し、プロセスも定量化しろ、ということ。
まあ、世の中のトレンドでもあるし、そんなもんだろうな、とは思います。でも、日本の大企業で導入するのは大変そうだな、とも思いました。
個人的には、管理するKPIを少なくしろ、という提言が一番、刺さりました。でも、そうなると、基本的に、売上か利益しかない気がします。あとは、売上と利益を伸ばすためにすることを考えろ、ってことですかね。
数字がすべてではない。ただ、数字を無視して成長した人は誰1人としていない。
6年で2700社以上が導入した「いま、もっとも人を成長させるマネジメント法」の識学。そのエッセンスの中から「伸びる人」に共通する考え方の「型」を紹介。

残りの人生は短いから、興味のない本を無理して読まなくてもいいかな、と思いました。借りるときは面白そうだと思ったんだけどなぁ。
それをお金で買いますか
刑務所の独房を1晩82ドルで格上げ、インドの代理母は6250ドル、製薬会社で人間モルモットになると7500ドル。あらゆるものがお金で取引される行き過ぎた市場主義に、NHK「ハーバード白熱教室」のサンデル教授が鋭く切りこむ。「お金の論理」が私たちの生活にまで及んできた具体的なケースを通じて、お金では買えない道徳的・市民的「善」を問う。ベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』に続く話題の書。
サイロエフェクト
1999年のラスベガス。ソニーは絶頂期にあるように見えた。しかし、舞台上でCEOの出井伸之がお披露目した「ウォークマン」の次世代商品は、2つの部門がそれぞれ別個に開発した、2つの互換性のない商品だった。それはソニーの後の凋落を予告するものだった。
世界の金融システムがメルトダウンし、デジタル版ウォークマンの覇権をめぐる戦いでソニーがアップルに完敗し、ニューヨーク市役所が効率的に市民サービスを提供できない背景には、共通の原因がある。それは何か――。謎かけのようなこの問いに、文化人類学者という特異な経歴を持つ、FT紙きってのジャーナリストが挑む。
企業であれ自治体であれ、あらゆる組織は「サイロ化」という罠に陥りがちである。分業化したそれぞれの部門が、それぞれの持つ情報や技術を部署の中だけでとどめてしまい、隣の部署とのあいだに壁を作ってしまう。日本語では「タコツボ化」と呼ばれるこの現象は、どんな組織でも普遍的に存在する。
経済学的な観点からすれば、身内での競争を生むような「サイロ」は無駄であるから、トップが「サイロ撲滅」の掛け声をかければ解決に向かう、と思いがちだ。ソニーの新しい経営者・ストリンガーも最初はそう考えた。しかし、彼は失敗した。壁は極めて強固で、一度できたサイロは容易には壊れない。
文化人類学者の視点を持つ著者は、「サイロ」が出来るのは人間に普遍な原因がある、と説く。人間に求められる技術が高度で専門的になればなるほど、サイロはむしろ必要とされるからだ。
人間は必ずサイロを作る、ならば、その利点を活用しつつ、その弊害を軽減する方法を探ろうとする画期的な論考が、本書である。

Youtubeの安っぽい動画に慣れてくると、テレビの完成度の高さが恋しくなります。
[blogcard url=https://www.ktv.jp/wana/]
[blogcard url=https://www.tbs.co.jp/100ie_tbs/]
[blogcard url=https://www.fujitv.co.jp/ninja/]
テレビはないけど、TVerがあるんで、ありがたいです。
[blogcard url=https://www.tbs.co.jp/getready_tbs/]
これは、何が面白いか、どんなに考えてもわかりませんでした。