いやあ、寄付しちゃいました。
寄付って、そもそもが嫌いなんですよね。だって、寄付をもらう人が、寄付をもらうことが目的になっている気がするからです。目標、ウン千万円、みたいな。メンタリティ的にも、自分で努力して、金策に走るわけでもなし、単に「お・ね・が・い」みたいな感じでしょ。パパ活か、お前は、って感じです。
それに、寄付金を管理している人たちの給料を払っているのも、私は人間の器が小さいので、不愉快なんです。目的に沿って使うならいいけど、なんか見たこともない奴の給料を負担するのはねぇ、そんなために、会社でしたくもない忖度をしながら働いているわけじゃないですからね、こっちは!
まあ、24時間テレビのチャリティーと同じ感覚です。チャリティーという大義名分を忘れ、視聴率取るためのお祭りとしてやっていない?、とか、あれれ、タレントさん、ギャラを貰っているの?、とかと同じです。
とにかく信用ならないのです。
そんな否定的なのに、なぜ寄付したのか、という話です。
1回目は長女の通っている学校への寄付です。入学と同時に来ちゃいました、寄付の依頼が。もちろん寄付をしなくても長女が学校で嫌がらせを受けることもないはずですし、寄付をしたから、いろいろ優遇されることもないはずです。
だから、無視しようかと思ったけれども、長女が通う学校の建物改築に使うと目的がはっきりしていたので、完成が遅れて、長女がそこで楽しい学生生活を送れないというのは本意ではなかったから寄付することにしました。
私としては、これから通う学校に投資をしたという感覚です。リターンはプライスレス、長女の笑顔を「期待」して。
2回目は、今回、私の母校への寄付です。校舎を立て直すそうです。あのボロくて、汚い校舎に愛着はあったのですが、だからといって後輩も、それを受け継げ、伝統だとは言えません。
でも、関係ないじゃん。自分の世代は、その時に授業料をちゃんと払っているし、というふうにドライに思っていたのですが、最近、考えが変わりました。
なんだかんだ言って、実は、卒業後にも、メリットを享受し続けていたのです。
正直、在校時の授業のレベルの低さったら、あり得ないほどで、詐欺に近いとさえ思うのですが、卒業後の人脈というものについては、お金を払う価値があると思います。
どんな学校でも、同じ学年というのは仲がいいというのはよくあるでしょうし、同じ時期に在校していたのであれば、ある程度の仲の良さというのはあるかと思います。ただ、全く、面識がないけど、何となく意気投合できる学校はそれほど多くなく、これこそが伝統だと思います。
最近では、Facebookもあるし、OB会的なものも乱立し、自分から積極的にアプローチすれば、いろいろな人脈を得ることができ、これは自分の能力とは全く関係のない、OBとしているだけで享受できる財産だと気づきました。私自身はあまり活用できてはいませんし、飲み会に行ってもへべれけになるだけで、完全に記憶喪失になったりもしますけど、それもまた楽しいもんです。
私としては、卒業後、陰ながら見守ってくれたことに対する対価を支払っている感覚です。先人が培った伝統への「感謝」でしかないです。
で、これだけ偉そうに俺様は寄付した寄付したと言っておきながら、今現在集まっている金額からすると誤差みたいな金額なんですが、心意気を持って寄付したということを言いたかっただけです。
寄付なんて要は気持ちですからね。
えへん。