- 2022/06/04
生物はなぜ死ぬのか、DNAとかRNAの話は難しくてわからなかったけど、生物が死ななきゃいけないのは、そりゃそうだなと思いました。
死ななかったら、新しい世代にバトンが渡せずに、環境の変化に対応していけないですからね。 あと、ガンも……
ゾンビとの交流をまったり描いている感じです。
人間より、ゾンビのほうが、より人間らしかったりします。
結構、楽しめました。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00148S74S
『ゾンビーノ』の中心をなすアイデアの楽しさは、すぐさま効いてくる。世界はゾンビ戦争によって大混乱におちいり、ゾンビは二種類に分かれていった。一部はフェンスで遮られた無法地帯をあてもなくさまよっている。その他のゾンビはゾムコン社の立派な人々のおかげで、おとなしく飼い慣らされた。そう、家庭の使用人として有効活用できるようになったのだ。ロビンソン一家にもこのケースがあてはまる。『名犬ラッシー』の昔のエピソードから抜け出たような郊外に暮らす一家だ。ティミー少年は新しい使用人がやってきて大喜び、すぐに“ファイド”と名づける。ファイド本人も問題なく過ごしている。機械の首輪が故障しない限りは(壊れてしまうと、ファイドは人の脳を喰らうゾンビへ逆戻りすることに)。ファイドを演じるのはキラメキの演技を見せるスコットランドのコメディアン、ビリー・コノリー。もっとも、彼が出演していることを知らなければ、気づくことはできないだろう。ディラン・ベイカー、そして特にキャリー=アン・モスは、ティミーの両親としてぴったりのキャスティングだ。 古き良きアメリカを描いたジョン・チーヴァーの小説からうっかりさまよい出て、ジョージ・ロメロのゾンビの世界へ入ってしまったふたりを好演している。監督のアンドリュー・カリーは1950年代への風刺とゾンビのアクションを巧みに融合しているが、この設定で映画の最後まで引っ張っていくには、いかんせん厚みがないことをごまかす手だてはない。もっとも、しばらくの間はファイドは闊歩する。足元がおぼつかなく、うつろな目つきでの闊歩だが。(Robert Horton, Amazon.com)