だいたいが、ひろゆき=論破みたいな最初の設定から間違っている気がします。
ひろゆきこと西村博之氏(47)が、前新潟県知事で立憲民主党の米山隆一衆院議員(56)に“論破“されたとして注目を集めている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a6e778b25a5a54a58615309165b74a0cea8c762
米山隆一と言えば、私の嫌いなフェミニストたちとのバトル、本人というよりも妻の室井佑月が主体ですけど、そっちのほうが印象に残っています。そういえば、あの顛末はどうなったんだろう。
ひろゆきを「伝統芸」とした山本一郎の文章もいい考察だと思います。ある意味、山本一郎のほうが伝統芸な気がするので、ブーメラン的なところもありますが。
最後は、賠償金払えで〆て、予定通りです。このネタを使いまわせるので、230万の元を取った気がします。
米山隆一さんのひろゆき評は各報道の通りです。基本的に、ひろゆきさんや彼とつるんでいた堀江貴文さんらも同様に「人格批判や罵声でひるんだ相手に対して、回答しづらい社会の中であまり表ざたにするべきではない差異や分断をえぐり出してぶつけ、しどろもどろになった姿を嘲笑する」というダークパターンを使うのが『論破芸』の一端です。
その『論破芸』の必勝法が、米山隆一さんには通用しなかった、というだけのことです。
実際には論破しているのではなく、論点をコロコロ変えたり嘘をついたりしてまともに議論せず、相手を煽り続けているだけなのですが、あれが論破なのだと思うような知識のない人や子どもにウケているのは実相じゃないかと感じます。
また、ひろゆきさんの取り巻きや信者、ひろゆキッズとされるファンたちの人物像も、X(Twitter)やYouTubeなどでのクラスター分析を信じるならば群れる小魚のような人たちで、たくさんやってきては、すぐに去っていく焼き畑農業的な側面があります。草刈りの場となるオンラインサロンやサービス購買に関心を持った人がドーッと集まってきては、特段意味も価値も見いだせなくなった多くの人たちがドーッと去っていくというビジネスモデルです。