外資系より残酷な日本の大企業で書いてある主旨には賛成です。でも、残酷だけども、会社が潰れなければ、有力な選択肢の1つではあります。

外資系より残酷な日本の大企業で書いてある主旨には賛成です。でも、残酷だけども、会社が潰れなければ、有力な選択肢の1つではあります。

早めに引導を渡してやったほうが、長い目で見れば本人にとって優しいってことですね。その通りだと思います。

ただ、大企業は、定年まで存続するという前提ならば、自分を拒否する組織に残って、いくばくかのお金をもらい続けるというのも選択肢としては有力です。鈍感力をフル活用すれば、いいだけですから。

もっとも、最近は、どんな大企業でもあっという間に傾くので、気を付けないといけませんね。

これは先日もFBで指摘したことなんだけれども、日本の大企業の残酷なところは、40代の後半になるまで、自分の昇進ポテンシャルがはっきりしない、ということです。

しかし、40代の後半で「この会社では上に上がれない」ということがはっきりしても、その時点で取れるキャリアオプションはほとんどありません。なぜなら、日本の大企業でなんとなく二十年頑張ってきましたという人は、よほど専門性のある人でないと労働市場でほとんど値段がつかないからです。

ここは本当に勘違いされていて、半ば痛々しいんですけれども、日本を代表すると言われているような企業でそれなりに活躍している人の多くは、自信過剰に自分の労働市場での価値を見積もる傾向がある。そういう人が転職活動をすると、自分の今もらっている給料の半分以下の値段しかつかないわけで、そこでキャリアの袋小路に入ってしまうわけです。

…中略…

外資系プロフェッショナルファームの場合、ほとんどの人はキャリアのどこかで「あなたはここまで」と言われるわけですが、そうなると当然ながら会社を移ることになります。先述した通り、これは大きなストレスになるわけですが、それは一時的なもので、友人・知人をみる限りは、ほんの二、三年もすれば新天地を見つけてのびのびと仕事をするようになる・・・恋愛と同じですね。

一方で、日本の大企業の場合、「あなたはここまで」と、暗に言われながらも、そこに残ったまま、華々しく活躍してどんどん昇進していく人を、同じ組織の中にいて眺め続けなければならないわけです。自分を拒否する組織に残って、拒否されない人の活躍を見続けなければいけないわけです。

しかも、序列の階差は内部者にははっきりと共有されているので、「ああ、あの人、あそこで止まっちゃったんだな」というのが明確にわかる。周囲も気を使うだろうしね・・・。評論家の見田宗介は、現代社会を評して「眼差しの地獄」と言いましたけど、まさにこれを地獄と言わずして、なんと言おうかと思っちゃうのは僕だけなのかなあ。

https://artsandscience-kipling.blogspot.jp/2017/09/blog-post_16.html