天才を殺す凡人、天才と秀才と凡人というフレームワークが一般ウケしますが、本当に役に立つかどうかは眉唾です。

そして、わざわざ本を読まなくてもブログで十分な気がしました。

本は、「夢をかなえるゾウ」をインスパイアしたような設定で、ストーリーはスタートアップから大企業へと成長した会社で働く人を描いているんですが、安っぽくて、あまり共感できません。

ブログのほうが、ムダなものがなくて、シンプルで、わかりやすくて、おすすめです。

「どうして、人間の創造性は、奪われてしまうのだろうか」 ー 天才と呼ばれる人がいる 天才は、この世界を良くも悪くも、前進させることが多い。だが、彼らは変革の途中で、殺されることも多い。それは物理的な意味も、精神的な意味も含めてだ。 以前から、そのメカニズムを解き明かしたいと思っていた。そしてようやくわかった。 天才は、...

とは言うものの、天才、秀才、凡人という分け方は、刺激的で一般ウケするので、いいアイデアですね。特に、天才になりたいけど、やっぱり自分は凡人かな、と思っている多くの人たちにとっては、凡人が天才を助けているという話は受け入れやいです。

実際のところ、天才が凡人に理解して欲しいと思っているかどうかは微妙なところじゃないかと思いますが(邪魔はされたくないとは思っているでしょうが…)、そういうことは言わない約束です。

この枠組みを、天才、秀才、凡人としたのは、本当に素晴らしいことで、これが創造性、再現性、共感性だけで説明しようとしたら、全然、刺さらなかったと思います。上手だなぁ。

でも、創造性、再現性、共感性の資質の割合で、天才、秀才、凡人に分けているのは、納得できないですね。割合じゃなくて、絶対量だと思うからです。

例えば、創造性の資質が100%だったとしても、創造的な活動の絶対量が少なければ、天才とは呼べないはずです。凡人でも、社会に貢献するためには、共感性の絶対量がハンパないことが重要でしょう。

そうしたら、共感性の絶対量が世の中水準の10倍あったら、その人は天才って呼んでいい気がします。ん、そうすると、天才の定義がよくわかりませんね。結局、そもそもが、無理がある定義じゃないかと思います。いいアイデアなんですけど。

あと、すごくビックリしたのは、ブログの読者の中には、私は天才で、サイレントキラーに殺されたとか、自分で言う人たちが結構いることです。本気なのか、ふざけているのか、私にはよくわかりませんでした。そう書く人は基本的に成功しにくい人じゃないかと、勝手に思っています。

あなたは凡人? 秀才? それとも天才?
公開瞬く間に30万pvを超えた人気ブログ「凡人が、天才を殺すことがある理由。」が、物語となって書籍化!

天才肌の女性創業者社長に惚れ込み、起業に加わって10年。会社は大きくなったが、新事業は振るわない。「社長は終わった」などという声も聞こえてくる――。
そんな悩みを抱える広報担当の青野トオルは、謎の犬ケンと出会う。関西弁と東北弁がまざった珍妙な言葉を使うケンは、トオルの疑問に当意即妙に答えていく。
人間の才能とは何か、なぜ人はすれ違ってしまうのか、私たちは自分の中にどのように才能を見い出し、どうやって伸ばしていけばいいのか。
今最も注目されるビジネス作家が90分で読める物語にまとめた、超・問題作!

◎世の中には「天才」と「秀才」と「凡人」がいる。三者の間にはコミュニケーションの断絶がある。
凡人は天才を理解できず、排斥する。秀才は天才に憧憬と嫉妬心を持つが、天才は秀才にそもそも関心がない。秀才は凡人を見下し、凡人は秀才を天才と勘違いしている――。
18年3月16日にネットに配信された「凡人が、天才を殺すことがある理由。――どう社会から「天才」を守るか」と題されたコラムがバズ(BUZZ)った。

◎ビジネスコラムとしては、異例の30万PV、フェイスブックのシェアは2万4000に達した。
またビジネス向けネットメディアであるNewsPicksに転載されると、その反響(コメント)は2200に及んだ。
さらに、このコラムの反響を取り上げた2回目のコラム「天才を殺すのは、実は「秀才」ではないのか?等への回答10選」も、フェイスブックのシェアだけで5000を超え、「天才・秀才・凡人」を巡るネット上の議論はなお続いている。

◎本書はこのコラムをストーリーにし、書籍化するもの。

◎「天才、秀才、凡人の評価軸の違い」「経営におけるアートとサイエンス」「イノベーションと飽き」「それぞれの人の中にいる天才、秀才、凡人」などの議論を展開していく。