- 2020/08/22
長女と、宇宙の果ての話とか、時間という概念とか、言葉が世界を創っている話とかをしました。すごく嬉しい反面、自分自身がもっと勉強しておけば良かったと思いました。
なんかすごく嬉しい。 でも、この世の中がどうなっているかを知らない自分が悔しい。 もうちょっと、ホー……
まあ、それなりに楽しんでおります。そして、まだ飲んでいませんよ。
「咳をしても一人」などの句で知られる自由律の俳人・尾崎放哉。前途を嘱望されたエリート社員だったが、家族も仕事も捨て、流浪の果て、孤独と貧窮のうちに小豆島で病死。その破滅型の境涯は、同時代の俳人・種田山頭火と並び、いまなお人々に感銘を与えつづける。本書は、遁世以後の境地を詠んだ絶唱を中心に全句稿を網羅するとともに、小品・日記・書簡を精選収録する。遁世漂泊の俳人の全容を伝える決定版全句集。
尾崎放哉
1885‐1926。現在の鳥取市に生まれる。本名・秀雄。東京帝国大学法学部卒業後、東洋生命保険株式会社に入社。旧制中学時代から句作を始め、一高俳句会に参加、萩原井泉水の「層雲」に寄稿するなど、自由律の俳人として句作を続けた。流浪遁世ののち小豆島南郷庵にて41歳で病死