面白いブログを見つけました。大学受験まで終わっているというのは、これから大学受験を迎える私にとって、とても参考になります。
https://www.jukunasi-igakubu.com/
私は大崎と申します。医学部医学科に通う息子の父親です。息子は塾なしで中学を受験し、中堅私立中高一貫校に入学。中高でも、そのまま塾に通うことなく大学受験を乗り切り、現役で国公立医学部に合格しました。
その経験を活かし、我が家の子育ての足跡、教育に対する考え方、勉強法などを書いていきます。
塾なしと聞くと、さぞかし親が付きっきりで指導したのだろうと思われるかもしれません。でも実際はそれほどべったりくっついて教えたということはありません。
塾に行かないからといって、塾でやることをそのまま家でやろうとすると大変です。子供1人に集中できる分、塾よりも効率的にできるかもしれませんが、塾よりも劇的に短時間で済むかというと疑問です。塾独自の教え方のノウハウも持ち合わせていないからです。
現実的には時間の取れる親御さんで、しかもお子さんと固い絆で結ばれていないと難しいでしょう。
そこまでやれる覚悟がなかった我が家では、基礎力の修得を重視し、地頭を良くする方針を採りました。一定のところまで引き上げてやれば、それ以降はほぼ独力でやれると考えたのです。
このあたり、事情は異なるものの、なんとなく考え方が似ているんじゃないかな、と思います。
ただし、1点、最近悩んでいることで、筆者と考え方が異なるところがあります。
それならば、教育において大事なことは、頭を使わせることである、ということになります。頭を使っていれば、私のように、特殊算の個別の解き方などを覚えていなくとも、基本の応用で解けるはずなのです。そもそも小学校の算数なんて、中学受験の範囲であっても、四則演算と割合の考えと、ほんの少しの公式(図形など)を知っていれば解けるようになっているのですから。気が遠くなるほどたくさんの問題をこなすよりも、ちょっと難しいくらいの適切な問題を時間をかけて考えれば、土台のある学力がつけられるというわけです。
「簡単な問題をたくさん解くか、難しい問題をじっくり解くか」問題です。
http://konchan.net/x/archives/23672
最近では、「簡単な問題をたくさん解く」の効果を見直しています。簡単な問題をたくさん解くことにより、脳内にパターン認識が生まれ、いつの間にか解けるようになっていることってあるんじゃないでしょうか。
難しい問題をじっくり解くことの最大のデメリットは、心が折れることです。そこを諦めない心と、脳みその持久力を鍛えるんだ、と言われればそうかもしれませんが、あるていど成熟しないと、小学生には難しい気がします。
それに加えて、難しい問題の中から良質な問題をピックアップするのが大変です。難易度の調整も難しいですし。
もちろん、簡単な問題をたくさん解く場合でも、良質な問題であるほうが望ましいですが、問題の数が多いので、それなりに良問も含まれるし、簡単な問題は良問と悪問の差は小さいと思っています。
もともとは、じっくり考える派だったのですが、考えを変え始めています。
理由は、AIのメカニズムを知ったことと自分自身の経験を思い出したからです。
AIは学習を繰り返すことで、未学習のものについても判断できるようになるので、人間の頭も簡単なものを繰り返せば、いつの間にか難しい問題も解けるようになるんじゃないか、と思えるようになったからです。昔で言うところの、ヒラメキ、みたいなもんです。
私自身の経験として、小学生の頃、寺子屋のような塾に行っていたので、まともに算数できる先生がいない(=国語専門の塾長が予習シリーズの解答を見ながら教えていた)ので、難しい問題は解説できず、必然的に簡単な問題をたくさんやるしかなかったです。今の親だったら、塾にクレームを言って転塾してしまうでしょうが、当時は情報もなかったので、そんなものだと思っていました。でも、それで成績は維持できたので、結果として、悪くはなかったんだと思います。
なので、公文のカリキュラムを中学受験型に変えれば、それなりに、効果が出るんじゃないかと思いますが、教室のおばちゃんが全教科対応するのは難しいので、実際には難しいとは思います。
世の中の人たちは、どう考えているんでしょう???
興味あります。