簡単な問題をたくさん解いて、自然にパターン認識が生まれるのを待つのが効果的なのか、難しい問題をじっくり解いて、ロジカルに理解するとともに脳みその持久力を鍛えるのが効果的なのか、悩ましいところです。
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もちろん、どっちもバランス良くやるのがいい、というのは、その通りで、疑いようがありません。
実際には、時間というリソースが無限にあるわけではないので、どちらかに絞るとしたらどっちとか、あるいは、何対何の割合でやるのがベストプラクティスだとかいう情報、仮説が欲しいところです。
いろいろな観点から考えてみました。
勉強の成果:
これは、どちらの方法論でも一定の効果はあると思いますが、「難しい問題をじっくり派」からすると、簡単な問題ばかりやっていて、応用問題ができるようになるものか、という意見があると思います。確かに、その意見には一理あると思います。解いていないのに、解けるようになる理屈が説明できませんから。AIのアナロジーというだけでは説得力がなさすぎですから。
ただ、よくよく考えてみると、かなり高度な応用問題を解くことが必要な教科というと、実は、算数だけじゃないかと思っています。理科や社会にも応用問題はありますが、多くの場合は、知識量で解決できる問題が多いですし、国語もちょっと別枠のような気がします。
そして、次に思うのは、算数の入試問題、満点が必要なわけでなく、一定以上の点数が取れれば合格できます。そして、入試問題の構成としては、全部が難問というわけではなく、典型的な問題、少しひねった問題、超応用問題はバランス良く出るのが普通です。いや、どちらかというと、超応用問題は出さない学校もあります。
とすると、難しい問題をじっくり解く意味は何なんでしょうか。地頭を鍛えるため。これは立派で、大切なことです。が、中学受験に合格することを考えると、目的志向ではないと思います。
要するに何が言いたいかというと、中学受験をクリアするという点に限定して言えば、難しい問題をじっくり解く必要はないので、
継続容易性:
実は、この観点が重要だと思っているのですが、難しい問題をウンウン唸りながら考えるのは、かなりの強い意志が必要です。大人でも大変なんだから、子どもはなおさらです。強い意志がないとすれば、相当才能があるか、好きかのどちらかです。
才能があったり、好きだったりすれば、難しい問題にチャレンジするのを止める必要は全くありませんが、そうでない普通の子どもにやらせようとすれば、途中で投げ出してしまうのが、一般的です。投げ出さないにしても、机の前に座って、考えているフリをして時間が経つのを待つんじゃないでしょうか。よくいますよね、思考停止状態で座っている子。
問題の取捨選択:
難しい問題をじっくり解く効果というのは、その難問が良質な問題なのか、いたずらに難しくしただけの問題なのかにも依存すると思います。時間はかかるけど、質の悪い問題をたくさん解いても賢くはならない気がします。良問を解くことこそが、じっくり解く効果を最大限にしてくれるでしょう。
で、その問題の峻別ができますか。
だって、そもそも、解答を見ないと解けもしない問題の優劣を判断できるわけがないと思っています。私も無理です。最初からそんなことしようとしていません。先生じゃなくて、コーチですから。
簡単な問題ならできそうですし、基本問題にそれほど大きな差異もないと思います。自宅学習には向いています。
以上、いろいろと考えてみて、自分なりの結論が出ました。
「まずは簡単な問題をそれなりの量をやってみる。才能があふれている場合、難易度を少しずつ上げていく。そうでない場合、身の丈にあった問題をやり続ける。」
というのがいいんじゃないでしょうか。才能があるかどうかわからない段階で難しい問題にチャレンジするのはお勧めしません。また、才能がない場合でも、子どもの様子を観察して、少しずつ難易度を上げていくことも重要です。