開成の柳沢校長へのロングインタビューが素晴らしい。世の中に流されないポリシーに共感しました。

開成の柳沢校長へのロングインタビューが素晴らしい。世の中に流されないポリシーに共感しました。

最近、メディア露出度が高いですけど、なかなか良いこと言っています。

特に1つ目と2つ目は、その通りだと思います。

 

https://tokyojyuken.jp/kaisei-principal-1/

グローバル化が喧伝されるのは、未来が輝いていない時代だから

グローバル化が叫ばれる現代ですが、歴史を紐解けば真新しいことではありません。「グローバル化」という言葉を、日本語で「広域化」という言葉で捉えると現状を捉えられるかもしれません。近代以降の日本には3回、おおよそ50年ごとに「広域化」のトレンドが到来しています。

一度目は1930年代の満州進出時代です。当時の日本は帝国主義に基づく拡大政策を取っており、満州や南洋州を中心に、多くの日本人が海外に移住しました。

二度目は1960年代の東京オリンピックの頃です。日本の産業構造が変化し、一次産業から二次産業に産業の中心が移行する中で、農村から都市へと「金の卵」と呼ばれた若者が多く移住し、工場労働者として日本の産業発展を支えました。その人たち=金の卵が出会ったのは、言葉(方言)・食事・人間関係が田舎とは全く違う環境でした。当時は、青森から夜行で12時間かかりました。今の時代は半日飛行機乗るとニューヨークに着きます。今言われているグローバル化という動きは50年前の集団就職と本質的には変わらないのです。

三度目が我々の生きる2010年代です。従来は海外とは一部の企業や個人の話でしかなかったものが、国内市場が縮小し、更に外国からの移民や観光客も増える中で、いよいよ多くの企業や個人が考えざるを得ないテーマとなってきています。

広域化のトレンドが到来する時代に共通するのは、未来が輝いていない時代であることです。

これはまさにその通りだと思いました。グローバル化って、交通と通信の手段の発展で、物理的な距離が大きくなったものの、フロンティア・スピリッツみたいなもんだと思います。現状に満足している人はフロンティアに出かけていかないです。

何年後かわからないけど、みんなで月に殺到する時代が来るかもしれません。

私は以前のブログにも書いたけれど、月にお墓を作る派なので、わざわざ行こうとは思いませんけど。

http://konchan.net/x/archives/5013

 

 

https://tokyojyuken.jp/kaisei-principal-2/

親は子供に「餌巻き」をしろ!

技術が進歩しても人間は動物としては変わりません。人間の成長速度も同じく変わらないのです。昔も今も思春期は12~13歳。この時期に子供にいかに多様な経験をさせるかが親にとって大事になってきます。

子供が世の中に何があるのか知らないうちは、親は色んなものを子供に見せてあげてください。これを私は「餌巻き」と呼んでいます。興味がないところに連れて行っても反応はそっけないものですが、興味があるところに行くとカチッとハマるタイミングがあります。

開成学園は多分野に渡り、トップクラスの人材をたくさん輩出してきました。この学校にいると、色んな分野のトップクラスの人たちから、深くて面白い話を聞くことが出来ます。例えば、この前はマネックスの松本さんが講演に来て話をしていきましたが、その話に対する生徒の反応は様々でした。

但し、先程も述べたように、親は徐々に子供から引いていくことが肝要です。様々な選択肢を示して、その反応を観察する。興味がありそうなことが見つかれば、支援しつつもそっと見守る。これが美しいと僕は思いますね。

これも、まったく、その通り。教育、育成の原点です。

まずはいろいろ見せる、体験させる、ことをして、興味があるものを早く自分で見つけてもらうということが重要なんですよね。そうすれば、あとは勝手に成長していくので。

そして、成長の兆しが見えれば、さらなる機会を提供し、軌道に乗れば口を出さないというのが基本で、これは、AI時代になっても変わらないことだと思います。

 

https://tokyojyuken.jp/kaisei-principal-3/

AI時代だからこそ、開成は唾の飛ぶ距離の授業を大切にする

開成の教員は教室に立つこと、対面授業を重視しており、それだからこそわかることがたくさんあると思っています。例えば、ITや言葉では伝わらないような生徒からの反応を見ることが出来ますよね。数学では授業を聞いていない生徒も出来るやつだから放っておけといったことを言う教員もいます。それが教員へのフィードバックになるのです。
ただの知識の伝達なら自分の部屋で十分で、学校に来る意味はありません。開成の教員は唾の飛ぶ距離の授業が大好きです。五感を使って授業をしています。

開成の授業は全てオリジナルであり、個性ある教員による手作りによって成り立っています。授業が汎用品でないため、一般的にIT化された教材は活用出来ないことが多いです。IT化は手段であって、高い質の授業を提供することが本分であることは忘れてはいけないですね。

これは、胡散臭いですね。そこまで、素晴らしい教員を採用しているかどうかは微妙です。生徒ができちゃうから、逆に、誰でもいい気がするんですけど。

なんなら、私でもいいぐらい。生徒にはバカにされるでしょうが、心が図太ければ、大丈夫な気がします。