まさにその通りとしか言いようがないです。
自由や権利には、責任や義務が伴うわけで、責任や義務には、他者の自由や権利を最大限尊重するというのも含まれています。
なのに、一方的に女性が、女性がと騒ぎ立てるだけの人たちは、当然のことながら、その主張がますます軽く見られ、それに比例するかたちで、主張がますます過激になっていくという悪循環です。もはや、権利を主張しているのか、積年の恨みを晴らしているのかわからなくなってきていて、結果、「女を殺す」ことになっていきます。
これは、フェミニズムだけじゃなくて、あらゆるマイノリティを擁護する人たちに共通する傾向というか、課題だと思います。
以前に書いたトランスジェンダーで元男性が女子重量挙げに参加という話も、女性の選手の権利のことを全く考えていないですよね。
自分が女子重量挙げのオリンピック代表候補だったら、自分の権利を主張しまくることでしょう。そして、人間ができていない私は、結果的に、自分自身を殺すことになっちゃいそうです。
ちなみに、人間は、集団を構成し、自分と違う集団に対して、攻撃的になるという性質が遺伝子に組み込まれていて、それで競争を勝ち抜いてきたという人類史があるので、ある意味、仕方のないことだと思います。が、もはや、21世紀ですから、遺伝子の呪縛から、知識・理性の力で逃れられるといいですね。
女性の人権は大事だ。Woman Lives Matter。ところでそのために、他の権利を制限するなら、とても慎重に議論されなければならない。女の人権が尊重されるべきなのと同様に、他の権利……たとえば表現の自由や、言及される女性の人権、そして男性の人権も同様に尊重されるべきであろう。
そうでなければ、自分だけ権利を主張し、社会的責任は負わない『子ども』になってしまう。それこそ、伝統的に保護されるべき、未熟な存在として扱われてしまうのだから。
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まさか、ジェンダー論の専門家はこの画像を「男の目を惹くふしだらな画像」認定するのだろうか。それにたとえ、ふしだらと感じたからといって、それを表現の自由を超えて、撤去させていい権利はあるのだろうか。
現物のグラビアを見たことがあるのだろうか。たかが片膝を立てているだけである。そして、仮にグラビア的であったとしても、だ。女には脱ぐ権利もあり、着る権利もある。有権者はそれを見て「脱げば票が取れると思っているのか」と判断してもいいし、しなくてもいい。
それが、「ふしだら」として削除される。こんな片膝立ち程度が避難されて削除されるようでは、しまいにゃ女はヴェールを着ないと外に出られなくなるのではないか。