いやあ、本当に悩ましいです。
他の子どもたちの例年の自由研究を見ていると、絶対に子どもだけじゃできないでしょ、というようなクオリティのものが、結構ある中で、幼稚園レベルのものを出すのか、って話です。
でも、そういう手抜きで、やる気ないのも、自分の選択だからいいのかな、と思ったりしています。
育児は育自です。でも、わかっちゃいるけれども、なかなか自制心をもって、子どもたちに接することは難しいです。等身大の子育てを赤裸々につぶやいています。

いやあ、本当に悩ましいです。
他の子どもたちの例年の自由研究を見ていると、絶対に子どもだけじゃできないでしょ、というようなクオリティのものが、結構ある中で、幼稚園レベルのものを出すのか、って話です。
でも、そういう手抜きで、やる気ないのも、自分の選択だからいいのかな、と思ったりしています。

長男はすぐにはまると思ったけど、ゲームがそれほど好きではない長女もやるとは思いませんでした。旅行に行った際に和了った良い思い出があるからかもしません。
役とかちゃんと知らないのに遊んでいます。最低限のルールを覚えてからやったほうが、勝率が高いと思うよ、と言っても聞く耳を持ちません。うーん。
ま、楽しんでいるからいいか。
でも、本当に賢くなるのか、それとも、年寄りの老化防止にいいだけなのか。よくわかりません。
早く、阿佐田哲也のAクラス麻雀を読めるようになって欲しいです。
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やっぱりポカが多いんですよね。遺伝かもしれませんが。「指す前にミスに気づく力」が彼に一番必要な能力だと思います。
ついでに、麻雀もアプリを入れて、自分で学べるようにしました。

内容が薄っぺらいし、斬新なことは書いていません。どこかで聞いたことのある話を幅広く取り上げている本です。
何かあると、以前に書いた本に詳しくは書かれているから、興味ある人はそちらを参照してくださいというので片付けているものが多く、残念です。
これなら、本じゃなくて、ブログで十分です。
また、やたら、灘、灘としつこい気もしました。読んでいるほうとしては、そりゃあ、灘に合格する人と同じにはできませんよ、と思っちゃう気がしました。
学力は伝承で遺伝ではないという考え方は、とても甘美で多くの親に受け入れやすい内容ですが、実際はやっぱり遺伝的な要素のほうが大きいと思います。もちろん、ある一定の割合で、ブレ幅はありますが。
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勉強ができる、できないは遺伝子で決まるわけではありません。成果を出せない子どもは、単に勉強のやり方が間違っているだけなのです!
受験は技術です。ですから親が受験について知り、技術を教えることこそが、親の学歴以上に子どもの受験の成果に大きな影響を与えるのです。
本書にはそのために必要な知識、方法論が詰まっています。ぜひお読みいただき、お子さんに成功体験を味わわせてあげてください。

Wiiはすごくいいゲームだと思うけれども、後継のゲームってないですね。どうして流行らなかったんだろう。
http://konchan.net/x/archives/8400
あっ、ドンジャラは1回戦はハコテンでした。がっくし。


2泊3日の合宿のようなものに行って料理の体験をしたおかげか、それとも、長女が作ったのに触発されたのか、いずれにしても良いことです。
見守るほうはそれなりに大変ですけど、そうやって成長していくわけですから、我慢です。
また作ってくれるといいですね。

子どもたちがいないと静かです。聞こえるのはセミの声ばかり。
いると喧嘩ばかりして、五月蠅いなぁ、と思うものの、いないと静かで、何となく落ち着かない感じです。
あと数年もすれば、こっちが日常になるのかと思うと、寂しい気持ちになります。青春時代も短かったけど、子育て時代もあっという間ですね。
重松清の言うことももっともです。
http://konchan.net/x/archives/25549
それにしても、静寂って、結構、寂しいかもしれません。
思い返してみれば、独り暮らしをしていた頃、家に帰るとわけもなくテレビをつけていたのって、何かしら音が欲しかっただけなのかもしれません。
でも、これからは静寂と向き合って生きていくことになるので、子どもたちが友だちと一緒に遊んでいる合間に、私もその時に備えて練習です。
もちろん、その練習にはアルコールがつきものですが。

「とんび」に感動したので、重松清でググってみたところ、教育に関する話が出てきていて、共感しました。
保育園の送り迎えのとき、娘が2歳の頃は、俺が指を1本出したら、それをギュッと掴んでいたんだけど、1年経つと指が2本になるのよ。娘の手が大きくなるにつれて、それが3本になり、4本になり……普通に手を繋げるようになっていく。そうやって成長していく実感みたいなものが、親として子育てをしている自分への支えになった気がするんだよね。
だから「高い高い」とか、「抱っこ」とかするのって、もちろん子どもが喜ぶからっていうのはあるけど、その重さで子どもの成長を実感しておくみたいなところもある。育児の哲学とか信念とかっていうものよりも、単純に粉ミルクを溶いて冷ますときの温かさだったりさ。そういうものって、意外と馬鹿にできないというのが、今振り返ってみて思うことかな。
俺の担当編集には、新米ママとか新米パパが多いんだけど、彼らにいつも言っているのは、「1歳までのあいだに子どもの足の裏をいっぱい触っておけよ」っていうことで。一度歩き出したら、子どもの足の裏ってどんどん硬くなるんだよ。やっぱりさ、子どもの成長って逆戻りできないわけだから、ハイハイのスピードはちゃんと自分の目で見て覚えておかないと、あとで見ようったって無理なんだから。もちろん、ビデオをまわして動画をたくさん残しておくことも大事だけど、それ以上に歩く前の柔らかい足の裏を触って覚えておくことが大事なんじゃないかって俺は思うんだよね。
「お前の足の裏は、こんなにふにゃふにゃだったんだぞ!」とかさ。その実感が、自分が親であることを後ろから支えてくれるわけで。こんな子どもに育てるんだとか、こんな親になるんだっていう気構えも大事だけど、それよりも指1本ぎゅーっと握られたときの感覚を持ち続けておいたほうが、子どもが育つ中でややこしくなったときに、踏ん張るための支えになるというかさ。そんな下支えになる子育ての記憶がたくさんあると、親として強くなれると思う。
https://www.saison-chienowa.jp/articles/dkD7Ucs8
ちょっと長い引用になってしまいましたが、まさにその通りだと思いますね。
そういった意味だと、私の子育ての原点となる体験は、長女と長男のへその緒を切ったことかもしれませんね。ちょっとゴムみたいなへその緒を、何の変哲もないもないハサミで。人間の体の一部を切っているのに、こんなにぐにゃりとした感触なんだと驚きました。
長女のイチゴを食べたときの酸っぱい顔を見たさに、何個もあげたこととか、長男の「ねずみ」が言えずに「ねみず」というの聞きたくて何度も尋ねたことと、そういう思い出や、長女が散歩に行くと、途中で疲れて歩かなくなり、抱っこして帰ったときの手の痺れとか、長男とサッカーしていたときの息づかいとかがリアルな経験で自信につながるのでしょう。
そこには、精神論とかはないです。私はモンテッソーリの教育方法に賛同しているのですが、あくまでも、実体、リアルな体験があってだと思います。
もっと言うと、何をするわけでもないけれども、同じ空間にいるというだけでもいいのかもしれません。ということで、あと数年、転勤とかがないことを祈っています。

まだまだ手際が良いわけではないので、汗だくになりながら作ってくれました。それだけで嬉しいです。
レシピはiPadで検索していたあたりは時代を感じます。

仲が良く、お互いに依存している一面もあるものの、些細なことで喧嘩をする長女と長男。
私なんかからすれば、お互い1人しかいない姉弟なんだから、仲良くすればいいのにと思うものの、なかなかうまく行きません。
なので、夏休みはいつも私が丸付けしているチャレンジを長女に託しました。もちろん、バイト代を払うということで。
これをきっかけに中学受験した先輩として、いいアドバイスをしてもらえればいいんじゃないかなと思ったからです。
却って、喧嘩を助長することになるのか、それとも、二人の間でコミュニケーションをして、何かしらのいい効果が出るのか。後者を期待しているのですが、自信はありません。