- 2015/03/21
長男のもとにチャレンジ1ねんせいが届いたら、もうノリノリ。嬉しそうに教材をやっていました。
でも、問題をよく読まなかったり、問題をとばして忘れていたりと、長女と同じ傾向です。 本当は毎日机につ……
長男も算数が得意だといいんですけどねぇ。
それにしてもKODOMO新聞。ネットでこれだけ読めたら、紙媒体をとる必要ない気がします。
http://www.yomiuri.co.jp/kodomo/jyuken/ranger/20150508-OYT8T50230.html
私は小学生のころに、将棋を覚えました。父親を相手に、せいぜい月に何回か。他に将棋を指す友だちもいなかったので、将棋の本を読んだり、「詰め将棋」という一種の「クイズ」を解いたりしていただけです。だから全然、強くはありません。大人になってからは、将棋の駒に触ったことすらありません。いまはスマホの無料アプリで、たまに「詰め将棋」の問題を解く程度です。
だから、決して将棋に詳しいわけではないのですが、はっきりと断言できるのは「詰め将棋」を解くときの思考回路は、算数の入試問題を解くときの思考回路と驚くほど似ているということです。
将棋の道場に通っている子どもにも大勢教えたことがありますが、全員、算数の得意な子ばかりでした。ただ「教えた通りの解き方で解くことができる」のではなく、見たことのないような難問を、ものすごい集中力と試行錯誤で解きこなしていく子がいました。中学や高校の将棋大会で大活躍しているのも、ほとんどは「超難関校」の将棋部ばかりです。
詰め将棋でも、算数の難問でも、問題をじっくりと読み、考えられる解法をいくつか選択し、そのうちでダメそうなものを除外し、最終的に一番よいと思われる作戦を選択する。もしその作戦がうまく行かないと判断した場合には、すぐに方向を修正して、別の解法を試してみる。こういう「試行錯誤」を頭のなかで何回も繰り返した結果、正解を導くことができる。
子どものころ、自分でも「詰め将棋」の問題を何問か作ったことがあります。そういう私が、いまは算数の問題を作る仕事をしているわけですから、不思議なものです。その私が言うのだから、(たぶん)間違いありません。「詰め将棋力」は間違いなく「算数力」と非常に近しい関係にあるのです。
ちなみに米長邦雄さんという有名なプロ棋士は、「自分は将棋指しになったけど、兄貴は頭が悪いから東大に行った」と語ったそうです。確かにプロ棋士の集中力や判断力は、私などには到底理解できない、まさに人類の知能の極致としか思えないほど素晴らしい。
でも、将棋ソフトの開発者は、「その上」を目指し、そして実際に「なし遂げた」わけですから、むしろコンピューターがスゴイというより、コンピューターそのものを開発し、そして、さまざまなソフトウェアを開発してきた人間の知能がスゴイのではないかと、私は思います。
確かに似ていると思います。
http://www.yomiuri.co.jp/kodomo/jyuken/ranger/20160113-OYT8T50169.html
谷川先生のお言葉のなかで一番心に残ったのは、「『負けました』と、頭を下げられない子は強くなれない」という言葉です。
「すべては礼に始まり礼に終わる」。これはどんなスポーツでも、勉強でも同じです。まず「よろしくお願いします」と頭を下げ、「ありがとうございました」と頭を下げる。
でも、将棋の場合は、もうひとつの「礼」があります。将棋は野球やサッカーのように「得点」で勝敗が決まるわけではありません。審査員の評価で勝ち負けが決まるわけでもありません。「これ以上続けても絶対に勝てない」と察したときに、自分から「これ以上指す手はありません。負けました」といわなければ、試合は終わりません。
自分から「負けました」と認めるのは辛つらいことです。谷川先生も子供のころは「負けました」が言えず、悔しくて駒を投げつけたり、駒を噛かんだりしたそうです(その歯形のついた駒をいまでも大切にもっていらっしゃるそうです)。
でも、自分で自分の負けを認めることによってひとつの戦いが終わる。「なぜ負けたのか」を反省し、「次こそは負けないぞ」という決意を新たにする。すべては「そこ」から始まるのです。
ああ、長男に聞かせてあげたい。