ゴールデンウィーク、特に何も考えていなかったのですが、充実した休日になって良かったです。

ゴールデンウィーク、特に何も考えていなかったのですが、充実した休日になって良かったです。
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最初の2日間は、公演があったので、それでバタバタしていました。もしかしたら、最後になるかもしれない出演でしたが、特に感慨もなく終わっちゃいましたね。もうちょっといい形で有終の美を飾りたかったという気もするんですが。

ゴールデンウィークは混んでいるうえ、料金も高いので、出かけるのはイヤなのですが、保養所は料金が安いので、急遽、行くことにしました。体調不良で、結構、しんどかったのですが、家族で家に居てもつまらないですし。

東北自動車道は例によって渋滞し、何とか着いて、腹ごしらえをしてから、裏磐梯の五色沼散策。

この程度なら、体調不良でも歩けるので、助かりました。子どもたちが乗りたいというので、ボートに乗りました。1時間1300円。結構、高いんですね。

でも、このボートで長女は独りで漕げるようになり、長男も体のサイズもあり、片側であれば、ちゃんと漕げるようになりました。すごく、イキイキとした表情をしていたので、乗って良かったです。

夜は、蕎麦を食べようということになったけれども、空いているところがないところ、親切なお店があって助かりました。

http://konchan.net/x/archives/20484

翌日は、会津若松の武家屋敷に。値段設定はちょっと高いですね。

八重桜が咲いていました。個人的には、自刃の間での出来事がいたたまれなくて、泣きそうになりました。時代が時代なんだろうけど、死ななくても良かったと思ってしまいます。

「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそ知れ」

西郷千重子 弱いなよ竹と同じように風に吹かれてしまう身だけれど、強風にも曲げられないなよ竹の節のように、私も節義に殉じてみせるという、強い意志と覚悟が感じられる句です。
これを詠んだのが、会津藩家老・西郷頼母の妻・西郷千重子です。
千重子は天保6(1835)年、会津藩士・飯沼粂之進の二女として生まれます。八重の友人である日向ユキの母・ちかは、彼女の姉にあたります。
慶應4(1868)年、戊辰戦争が起こります。早鐘が鳴らされた8月23日、千重子は夫・頼母と長男・吉十郎の入城を見送った後、親類一同を居間に集めました。
千重子は「子連れでは足手まといになりかねない。ここで自刃するのが国に殉じることだ」といい、まず幼い子供たちを刺してから自らも自害しました。享年34歳。子供たちの中には、まだ4歳や2歳の娘もいました。
同じ居間では西郷家の母や娘など、総勢21人が同時に自刃。
政府軍が西郷邸に乗り込んできたとき、まだひとりの少女に息がありました。彼女はもうろくに目も見えない様子で、政府軍の軍人に「あなたは敵か?味方か?」と問いかけ、憐れに思った軍人は「味方だ」と答えました。すると彼女は懐を探って懐剣を取出し「これで介錯をしてほしい」と言うので、介錯に応じてやったそうです。
その自刃の間の壮絶さと、少女の姿を見た軍人は「これが会津のもののふか」と敵ながら称賛したと言います。

http://yae-sakura.jp/aizuhaku/column12

そして、西郷四郎が会津にゆかりがあると初めて知りました。

まあ、それなりに楽しんで、最後は、わっぱめしを食べて、帰りの渋滞へという弾丸ツアー。体調の問題もあり、疲れたけれども、楽しめました。保養所の温泉も良かったです。

 

そして、上記の弾丸ツアー以外は、長男とサッカー観戦×2(しかも、地元の武蔵野シティFCは連勝!)と将棋会館でした。長女が土曜日も学校なので、地味な感じの、そして、いつも通りのゴールデンウィークでした。

最後の締めは、ホームパーティーと、WIZ。

 

 

ところで、いい機会なんで、歴代のGWを振り返ってみました。

1年前は飲んだくれたようです。

http://konchan.net/x/archives/17180

2年前は今年と同じ保養所の旅。

http://konchan.net/x/archives/14199

3年前も保養所。どんだけ、利用しているんだって話ですね。

http://konchan.net/x/archives/11323

4年前は…保養所。さすがに3年連続で行っていたのには、びっくりしました。

http://konchan.net/x/archives/7832

5年前は単なる飲んだくれだったようです。特にどこも行っていないみたいです。

http://konchan.net/x/archives/2344

6年前はよくわかりませんが、大変な出来事があったようです。もうちょっと、長男は小さいときだったと思うんですが、6年前だったんですね。

http://konchan.net/x/archives/814

これ以上は、遡れません。古いブログは消えてしまっているので、パソコンのどこかにバックアップを取った記憶はあるんですけど、探すのが面倒です。